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2010年の東北楽天ゴールデンイーグルスから見た星野仙一
開幕4連敗し、シーズン序盤から低迷した。交流戦に入り、12チーム中5位と健闘したが、パ・リーグのチームが上位6位までを独占したため、交流戦の好調によって、リーグ順位を上昇させることはできなかった。交流戦明けのリーグ内の対戦においては、再び負けが先行するようになり、6月26日に最下位に転落すると、そのまま、シーズンを6位で終えた。シーズン終了後、ブラウン監督の退任が決定し、後任に星野仙一が就任することが決定した。また、エースの岩隈がポスティングによるメジャーリーグ移籍を目指したが、落札したアスレチックスとの交渉が不調に終わり、来シーズンも残留することが決定した。(2010年の東北楽天ゴールデンイーグルス フレッシュアイペディアより)
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2004年のオールスターゲーム (日本プロ野球)から見た星野仙一
全パ(オールパシフィック・リーグ)監督は前年、日本一になった福岡ダイエーホークスの王貞治が務め、全セ(オールセントラル・リーグ)の監督は前年、リーグ優勝した阪神タイガース監督の星野仙一が務めるべきところだが、2003年の日本シリーズ終了とともに勇退したために、後任の岡田彰布が全セを率いた。長野オリンピックスタジアムで行なわれた第2戦の3回裏、捕手の矢野輝弘が福原忍(いずれも阪神)の投球を返球した瞬間、三塁走者だった全パのSHINJO(北海道日本ハムファイターズ)が、オールスター史上初となる単独本盗を成功させた(本盗としては1978年第2戦の簑田浩二以来、史上2人目)。この試合のMVPを獲得したSHINJOはヒーローインタビューで「これからは、パ・リーグです」とスピーチした。再編問題でリーグの存続の危ぶまれた全パが1990年以来、14年ぶりに2戦全勝した。(2004年のオールスターゲーム (日本プロ野球) フレッシュアイペディアより)
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立浪和義から見た星野仙一
1987年のドラフト会議で南海と中日ドラゴンズが1位で競合し、南海・杉浦監督と中日・星野仙一監督のくじ引きになった。結局、星野監督が当たりくじを引き当てて中日が交渉権を獲得、中日に入団する。当時中日は慶應義塾大学のエース鈴木哲を指名する予定であったが、翌年夏のソウルオリンピックを目指して社会人野球に進むことを宣言したため、ドラフト会議2日前に急遽立浪に切り替え、当時関西地区担当スカウトであった中田宗男がその旨を伝えた。なお、立浪本人は前述のセ・リーグへの憧れからドラフト会議前夜に寮のベランダに出ていたところ、偶然目の前に現れた流れ星を見て中日入団を願ったという。(立浪和義 フレッシュアイペディアより)