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  • 鶴ヶ嶺道芳

    鶴ヶ嶺道芳から見た時津風部屋時津風部屋

    1944年、師匠が亡くなった際には二枚鑑札も検討されたが、結果としては認められず部屋力士は双葉山道場に身を寄せた。1947年6月場所限りで引退するとすぐに井筒部屋を再興した。そういういきさつもあって、双葉山道場所属の時期にも、立浪部屋の力士との対戦をしている。年寄井筒としては、関脇鶴ヶ嶺をはじめ、星甲、大雄、錦洋などの力士を育て、時津風一門の有力部屋とした。相撲協会の運営面でも時津風理事長の補佐役として期待されていたが、不幸にも病に倒れた。鶴ヶ嶺道芳 フレッシュアイペディアより)

  • 若港三郎

    若港三郎から見た時津風部屋時津風部屋

    1945年11月、十両に陥落したところで全休し、現役を引退して年寄富士ヶ根専業となる。部屋も、1947年6月場所まで経営した後、高砂部屋に弟子をゆずった。その後一時期、再び部屋をもったが、すぐに閉鎖、時津風部屋所属の年寄として、停年まで相撲協会に在籍した。若港三郎 フレッシュアイペディアより)

  • 開錦豪藏

    開錦豪藏から見た時津風部屋時津風部屋

    開錦豪藏(かいにしきごうぞう、1938年2月11日-)は、錦島部屋、時津風部屋に所属した元力士。本名は土田房三。現在の秋田県横手市出身。183cm、104kg。最高位は東十両16枚目。開錦豪藏 フレッシュアイペディアより)

  • 八竜鉄右エ門

    八竜鉄右エ門から見た時津風部屋時津風部屋

    八竜鉄右エ門(はちりゅうてつえもん、1942年10月26日-)は、錦島部屋(1964年1月場所以降は時津風部屋)に所属した元大相撲力士。本名は檜森鉄右衛門。秋田県山本郡八竜町(現在の三種町)出身。173cm、104kg。最高位は東十両15枚目(1964年9月場所)。八竜鉄右エ門 フレッシュアイペディアより)

  • 豊光重信

    豊光重信から見た時津風部屋時津風部屋

    豊光重信(とよひかりしげのぶ、1925年9月28日-1962年8月6日)は、立浪部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元力士。元若者頭。本名は和間重信(旧姓清水)。現在の大分県中津市出身。183cm、84kg。最高位は東十両18枚目。豊光重信 フレッシュアイペディアより)

  • 宇佐ノ山英策

    宇佐ノ山英策から見た時津風部屋時津風部屋

    宇佐ノ山 英策(うさのやま えいさく、1921年1月11日 - 没年不明)は昭和時代の大相撲力士。立浪部屋→双葉山道場→時津風部屋所属。本名は永松英策。最高位は十両9枚目。宇佐ノ山英策 フレッシュアイペディアより)

  • 鶴ヶ嶺昭男

    鶴ヶ嶺昭男から見た時津風部屋時津風部屋

    戦時中は海軍年少兵として海軍相撲で鳴らし、やがて大相撲への興味を抱く。戦後、元前頭2枚目・鶴ヶ嶺道芳こと井筒親方の元に入門、1947年(昭和22年)6月場所で初土俵を踏む。この時はまだ師匠が現役最後の場所であったので、書類上の所属は時津風部屋になっていた。翌場所から、独立した井筒部屋に所属した。独立したばかりの井筒部屋は例外なく弱小で、井筒と同じ鹿児島出身の政治家で当時公職追放中であった迫水久常が部屋の後援会会長に就任して、部屋のための金品や食料の調達に奔走する有様であった。ある時、迫水は部屋のあまりの貧乏さに人員整理を考え、見込みの薄い力士は次々と故郷へ帰して再就職させることとし、やがて鶴嶺山の処遇を考えることとなった。ここで、部屋付き親方の甲山が「必ず栃錦でも負かす男になりますから、もう少し面倒みてやって下さい」と頭を下げ、迫水自身は「そうかねえ」と多少半信半疑のところがあったようだが現役続行は決まり、「お前、勝とうと思って相撲とるな。負けまいと思って相撲とれ」と激励。迫水の激励に対して「わかるかわからないかわからんけれど、とにかく先生のおっしゃったように、私は負けまいと思って相撲をとります。勝とう勝とうと思わないで、これから負けまいと思って相撲をとります」と、精進を誓った。鶴ヶ嶺昭男 フレッシュアイペディアより)

  • 大潮清治郎

    大潮清治郎から見た時津風部屋時津風部屋

    現役中の1937年から二枚鑑札で年寄・陸奥を襲名し、陸奥部屋を率いて、若潮を幕内に育てた。現役最後の場所は若潮新入幕の場所でもあり、師弟そろっての幕内土俵入りという偉業をなしとげた。引退後は1960年に部屋を閉じて、同系統で対戦のなかった錦島部屋に移籍、錦島部屋の消滅後(1964年)は時津風部屋に移り、1965年に停年を迎えた。大潮清治郎 フレッシュアイペディアより)

  • 星甲実義

    星甲実義から見た時津風部屋時津風部屋

    師匠としては、幕内鶴ヶ嶺道芳、小松山貞造たちを育て、井筒部屋を中堅部屋としてもりたて、途中で浅香山部屋から源氏山祐蔵を引き取った。また、それまで属していた高砂一門から双葉山相撲道場の一門(現在の時津風一門)に転属した。1944年、わずか42歳で急逝、力士たちは双葉山道場に引き取られた。星甲実義 フレッシュアイペディアより)

  • 成田山名古屋別院大聖寺

    成田山名古屋別院大聖寺から見た時津風部屋時津風部屋

    敷地の隅(モノレール成田山駅跡近く)に、大相撲時津風部屋の名古屋場所宿舎が置かれている。2007年6月26日、ここで力士暴行死事件が発生した。寺敷地内に設けられた稽古場で、17歳の新弟子力士が稽古中にリンチを受け心肺停止状態となった。成田山名古屋別院大聖寺 フレッシュアイペディアより)

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