
鏡岩善四郎から見た時津風部屋
現役引退後は、年寄・粂川として勝負検査役を務めた。粂川部屋では二枚鑑札によって部屋を継承した時点から既に何人かの十両力士を輩出していたが、1941年の年末に双葉山定次が立浪部屋から独立、新たに双葉山相撲道場を設立した際に、粂川が双葉山の人柄に心酔していたことから部屋に所属する力士全員(この中に、後に横綱へ昇進する鏡里喜代治も含まれている)に「いいか、今日からは日本一の双葉山がお前たちの師匠だ」と言って双葉山相撲道場へ移籍させて粂川部屋は閉鎖、自身は双葉山相撲道場の部屋付き親方として後進の指導に当たった。(鏡岩善四郎 フレッシュアイペディアより)