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  • 青ノ里盛

    青ノ里盛から見た時津風部屋時津風部屋

    青ノ里 盛(あおのさと さかり、1935年11月13日 - 2008年5月16日)は、青森県三戸郡倉石村(現役当時、現在は同郡五戸町)出身の元大相撲力士。時津風部屋に所属した。本名は小笠原 盛(おがさわら さかり)。最高位は西張出関脇(1963年5月場所)。現役時代の体格は182cm、120kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。青ノ里盛 フレッシュアイペディアより)

  • 井筒部屋

    井筒部屋から見た時津風部屋時津風部屋

    1944年(昭和19年)9月、9代井筒(前2・星甲実義)が亡くなったときに、力士は一時期双葉山道場に全員預けられたが、1947年(昭和22年)6月に元幕内・鶴ヶ嶺道芳が引退して10代井筒を襲名して井筒部屋を再興した。10代井筒は、関脇・鶴ヶ嶺をはじめ、幕内・逆鉾與治郎、幕内・太刀風義経などの関取を士育て、中堅部屋としての地位を確かなものにした。井筒部屋 フレッシュアイペディアより)

  • 蔵玉錦敏正

    蔵玉錦敏正から見た時津風部屋時津風部屋

    引退後しばらくは鏡山部屋付きの親方として後進を指導していたが、年寄・枝川襲名時に同門の時津風部屋に移籍している。2007年の時津風部屋力士暴行死事件で部屋の師匠(元・双津竜の15代時津風)の処分が取りざたされた際には、部屋で最年長の親方としてマスコミにも対応しており、後継者となった時津海の引退記者会見にも同席していた(師匠が解雇処分で同席できなくなったため)。蔵玉錦敏正 フレッシュアイペディアより)

  • 陸奥部屋

    陸奥部屋から見た時津風部屋時津風部屋

    明治時代からの伊勢ノ海系統の陸奥部屋からは、昭和に入って関脇・大潮が出た。大潮は1937年(昭和12年)から二枚鑑札で陸奥部屋を継承し、若潮を幕内まで昇進させたが、それ以外に関取を輩出することはできず、1960年(昭和35年)に部屋を閉鎖して自身は時津風部屋へ移籍した。その縁で、陸奥の年寄名跡は時津風一門に属するようになった。陸奥部屋 フレッシュアイペディアより)

  • 一門 (相撲)

    一門 (相撲)から見た時津風部屋時津風部屋

    昭和の大横綱の1人である双葉山を開祖とする。1941年に直弟子10人を率いて立浪部屋から独立して双葉山道場(現・時津風部屋)を開いた(部屋創設時に鏡岩の粂川部屋が合流した)。角界では時津風部屋のことを今でも「道場」と呼ぶことがある。この時津風部屋に、江戸時代以来250年の伝統を持つ名門である伊勢ノ海部屋と、旧部屋が消滅の後に双葉山道場に合併されてからまた再興された井筒部屋が合流し、時津風一門を形成した。一門 (相撲) フレッシュアイペディアより)

  • 鈴木浩平 (空手家)

    鈴木浩平 (空手家)から見た時津風部屋時津風部屋

    この頃、「従来の相撲流の稽古だけでは飽き足らず、ほかの格闘技の練習方法も採り入れて独自の稽古体系をつくりあげたい」という考えで、大相撲の時津風部屋に所属する十両の松乃山が本部道場に通ってきていた。松乃山は身長180センチメートル、体重110キログラムの体格で、両足を180度に開脚して胸を床につけることができる柔軟性を持ち、サンドバッグを蹴ると、半分に折れ曲がっていた。当時、指導を主に任されていた岸信行や三浦美幸などは松乃山の蹴りこみを見て「ロウ先輩(盧山初雄)の三日月蹴りだって、ああはならない」「松乃山が組手するレベルまで上がってきた時に誰が相手するのか・・・」と話し合っていた。やがて松乃山が組手をするようになり、緑帯・茶帯連中を重量級の蹴りで飛ばし、黒帯は松乃山を翻弄することは出来てもKOすることはできなかった。そんなある日、鈴木が松乃山と組手をした。松乃山は相撲仕込みの出足の鋭さで間合いをつめるが、鈴木は円を描くように回り込みながら、松乃山へローキックを連発する。松乃山はこれを嫌がり、再び鈴木に突進してきて前蹴りを放つが、鈴木はやはり円を描いて捌き、左ハイキックを松乃山の顎に入れた。松乃山は鈴木の足元にねじれた格好で崩れ、鈴木が松乃山を倒した最初の黒帯となった。鈴木浩平 (空手家) フレッシュアイペディアより)

  • 成田山名古屋別院大聖寺

    成田山名古屋別院大聖寺から見た時津風部屋時津風部屋

    敷地の隅(モノレール成田山駅跡近く)に、大相撲時津風部屋の名古屋場所宿舎が置かれている。2007年6月26日、ここで力士暴行死事件が発生した。成田山名古屋別院大聖寺 フレッシュアイペディアより)

  • 大潮憲司

    大潮憲司から見た時津風部屋時津風部屋

    大潮 憲司(おおしお けんじ、本名:波多野 兼二(はたの けんじ)、1948年(昭和23年)1月4日 - )は、福岡県北九州市八幡東区出身で、1970年代から1980年代にかけて活躍した大相撲力士。現役時代は時津風部屋所属で、最高位は東小結(1978年1月場所)。現役当時の体格は186cm、134kg。得意手は左四つ、寄り、突き。大潮憲司 フレッシュアイペディアより)

  • 木村庄之助 (25代)

    木村庄之助 (25代)から見た時津風部屋時津風部屋

    25代木村庄之助(にじゅうごだい きむらしょうのすけ、1909年9月1日 - 1991年2月10日)は、大相撲の立行司。本名:山田鈞吾。愛知県名古屋市出身。その風貌から通称「夏ミカン庄之助」。粂川部屋→時津風部屋→中村部屋→二所ノ関部屋 と所属が変わっている。木村庄之助 (25代) フレッシュアイペディアより)

  • 時津山仁一

    時津山仁一から見た時津風部屋時津風部屋

    幼い頃両親が離婚し、祖父母の手によって育てられた。1940年5月場所に、大坂相撲系統の時津風部屋から初土俵をふんだ。しかし、まもなく部屋は閉鎖され、彼は立浪部屋に移籍することになった。当時の四股名は出身地にちなんだ「平」だったが、のちに「時津浪(時ツ浪・時津波)」→「時津山」と名乗ったのは、時津風出身をあらわしたものである。時津山仁一 フレッシュアイペディアより)

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