-
時津風部屋から見た大関
立浪部屋所属の横綱・双葉山は、その実績が評価されて現役力士のまま弟子の育成ができる二枚鑑札を許可され、1941年(昭和16年)5月に立浪部屋から独立して双葉山相撲道場を設立した。この際に、当時粂川部屋を開いていた5代粂川(大関・鏡岩)は、自らの弟子全員を双葉山に譲り、自らも双葉山相撲道場の部屋付き親方となった。また、他の部屋も多くが傘下に入った。双葉山は1945年(昭和20年)11月場所限りで現役引退して年寄・時津風を襲名し、同時に双葉山相撲道場を時津風部屋と改称した。その後、粂川部屋から譲り受けた鏡里が横綱に、現役時代からの弟子である大内山が大関へ昇進すると共に、12代時津風は北葉山と豊山という2大関を育て上げた。(時津風部屋 フレッシュアイペディアより)
-
時津風部屋から見た粂川
立浪部屋所属の横綱・双葉山は、その実績が評価されて現役力士のまま弟子の育成ができる二枚鑑札を許可され、1941年(昭和16年)5月に立浪部屋から独立して双葉山相撲道場を設立した。この際に、当時粂川部屋を開いていた5代粂川(大関・鏡岩)は、自らの弟子全員を双葉山に譲り、自らも双葉山相撲道場の部屋付き親方となった。また、他の部屋も多くが傘下に入った。双葉山は1945年(昭和20年)11月場所限りで現役引退して年寄・時津風を襲名し、同時に双葉山相撲道場を時津風部屋と改称した。その後、粂川部屋から譲り受けた鏡里が横綱に、現役時代からの弟子である大内山が大関へ昇進すると共に、12代時津風は北葉山と豊山という2大関を育て上げた。(時津風部屋 フレッシュアイペディアより)