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  • 大橋宗桂 (9代)

    大橋宗桂 (9代)から見た有吉道夫有吉道夫

    有吉道夫『日本将棋大系 第7巻 九代大橋宗桂』(筑摩書房、1979年)大橋宗桂 (9代) フレッシュアイペディアより)

  • 瀬戸博晴

    瀬戸博晴から見た有吉道夫有吉道夫

    第15回(1981年度)早指し将棋選手権…1回戦で有吉道夫に敗れる。瀬戸博晴 フレッシュアイペディアより)

  • 消化試合

    消化試合から見た有吉道夫有吉道夫

    将棋棋士の米長邦雄(元名人、前日本将棋連盟会長、故人)は、自著『人間における勝負の研究』(祥伝社ノン・ブック刊)の中で、「自分にとって消化試合でも相手にとって重要な対局は、何年間かのツキを呼び込む大きな対局であり、名人戦より必死にやって、相手を全力で負かす」といういわゆる「米長理論」(米長哲学)を提唱し、将棋界では広く支持されている。昇級にも降級にも関係ない棋士との対戦に敗れて昇級を逃したりした例は米長本人がこれを実践した相手である大野源一はじめ多く存在する。2010年4月30日に指された竜王戦5組残留決定戦では、すでに引退が決定していた(勝敗にかかわらず次期竜王戦には参加自体しない)74歳の有吉道夫が、木下浩一を破って6組に降級させ5組に「残留」している。消化試合 フレッシュアイペディアより)

  • 百番指し

    百番指しから見た有吉道夫有吉道夫

    トップクラスの棋士同士であっても1年間に10局以上同じ相手と対局することがまれであるため、百番指しが達成された組み合わせは、同時代の長年に渡ってお互いトッププロとして、特にタイトル戦の番勝負などで戦った棋士同士の組み合わせに限られている。なお、タイトル戦での対戦がない組み合わせの最多対戦は内藤國雄-有吉道夫の93局である(有吉はすでに引退、内藤の49勝44敗)。百番指し フレッシュアイペディアより)

  • 十段戦 (将棋)

    十段戦 (将棋)から見た有吉道夫有吉道夫

    1966年:◎二上達也、山田道美、加藤一二三、升田幸三、▲丸田祐三、▲有吉道夫十段戦 (将棋) フレッシュアイペディアより)

  • 小堀清一

    小堀清一から見た有吉道夫有吉道夫

    明治生まれの棋士で最も遅くまで現役を続けた。現役最後の1986年の順位戦の成績は2勝8敗。当時15歳の羽生善治四段とも当たった。敗れはしたものの夜の11時まで熱戦を繰り広げた挙げ句に翌日の午前2時になっても感想戦をやっていたという。70歳の時の第40期順位戦C級2組で7勝3敗の成績をおさめ、有吉道夫に破られるまで順位戦勝ち越しの最年長記録であったとされている。小堀清一 フレッシュアイペディアより)

  • 盤外戦

    盤外戦から見た有吉道夫有吉道夫

    1991年、ガンが再発して手術する直前に指した順位戦の対有吉道夫戦。弟子の有吉に対し対局前の雑談の際に「ガンが再発したので今度手術する」と告げた。もっとも、将棋自体は有吉が勝っているが、その後大山は、本来なら入院中で不戦敗になるはずの次の対局を「入院前に繰り上げて指したい」と将棋連盟に申し入れ、その繰り上げ対局はきっちり勝っている。盤外戦 フレッシュアイペディアより)

  • 引退

    引退から見た有吉道夫有吉道夫

    引退表明は順位戦で陥落が決まった時期にされることが多いが、それ以外の時期にされる場合もある。どちらにしても、その時点でトーナメント表に名前が載っている対局は全て消化するのが決まりで、消化しない場合には「不戦敗」の扱いとなる。よって、場合によってはその残りの対局で勝ち進んでしまい、米長邦雄のように引退表明後1年近くたってもまだ現役で指していたという例もある。いくら勝ってもいずれ引退には違いないのだが、将棋界では「勝っても負けても同じ、という対局でも全力を出す」というのが不文律となっている(いわゆる「米長哲学」)。以前は順位戦陥落での引退は年度末である3月31日付となっていたが、2010年にC級2組から陥落し年齢制限による引退が確定していた有吉道夫が引退確定前に対局が組まれていたNHK杯戦で予選を突破し新年度の本戦に出場することが決定したのをきっかけに、最終対局日付での引退に規定が変更された(なお、有吉の引退は5月24日までずれこみ、引退決定後の対局は6勝4敗であった)。引退 フレッシュアイペディアより)

  • 早指し将棋選手権

    早指し将棋選手権から見た有吉道夫有吉道夫

    早指し将棋選手権の最多優勝は大山康晴と米長邦雄の4回である。優勝3回で中原誠・加藤一二三・羽生善治、優勝2回で桐山清澄・有吉道夫・丸山忠久が続いていた。早指し将棋選手権 フレッシュアイペディアより)

  • 内藤國雄

    内藤國雄から見た有吉道夫有吉道夫

    第56期(1997年度)順位戦B級1組で成績が振るわず、4勝8敗に終わる。その最終局(8敗目)の相手は丸山忠久であり、内藤が負けたことによって丸山は史上初の「B級1組12戦全勝」の記録を作った。このとき内藤と有吉道夫が同時にB級2組へ降級したことは、世代交代の象徴と見る向きもあった(内藤と有吉は長年関西のライバルとしてしのぎを削った間柄である)。しかし、内藤は翌期のB級2組順位戦で、最終局を残して9戦全勝とし、その時点でB級1組への即復帰を決める(最終局は負け)。しかし、その頃にNHKラジオ第1放送に出演した際、「もう1敗しても昇級できたんですよ」と述べ、巡り合せの悪さをコメントしている。内藤國雄 フレッシュアイペディアより)

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