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有吉道夫から見た2009年
そして迎えた2008年度の第67期順位戦C級2組最終局(2009年3月10日)は、負ければ3勝7敗で降級点累積3点となり、規定により引退の可能性大という戦いとなった。一方、有吉の対局相手は、自身が勝てば昇級という新鋭の高崎一生であったため、この一番は大いに注目され、対局場所の関西将棋会館には数多くの報道陣が集まった。結果は有吉の勝ち。対局後のインタビューでは「将棋そのものが好きだし、面白い」と、現役続行の意欲を語った。有吉の将棋への情熱に対し、谷川浩司は「棋士室で若手棋士と研究会に励む姿は、これからも多くのメッセージを与える事でしょう」とコメントを残している。(有吉道夫 フレッシュアイペディアより)
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有吉道夫から見た日本将棋連盟
しかし、翌2009年度(第68期)のC級2組順位戦では序盤から苦戦が続き、9回戦の松本佳介との対局に破れて、最終局を待たずにC級2組からの降級及び引退が決まった(最終成績は2勝8敗)。日本将棋連盟による当初の発表では、引退の日付は2010年3月31日とされていたが、2010年2月23日、NHK杯戦予選を3連勝で通過し、本戦出場を決める。これを受けて、2日後の2月25日、連盟は引退規定の変更を発表し、最終対局日(テレビ棋戦の場合は放映日)まで引退そのものも延長することとした(棋士 (将棋)、引退 も参照 )。なお、74歳でのNHK杯本戦出場は丸田祐三の73歳を凌ぐ史上最高齢記録となった。また、3月24日には棋王戦予選3回戦で村田智弘を破り、棋王戦でも現役を続行出来るようになった。(有吉道夫 フレッシュアイペディアより)
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有吉道夫から見たオールスター勝ち抜き戦
1984年、49歳にして史上初の公式戦20連勝の記録を樹立。同時期に、第7回(1984年度)オールスター勝ち抜き戦で歴代1位タイ(当時)の11人抜きを達成(5人抜き以上は優勝扱い)。また、第43期(1984年度)B級1組順位戦で9勝3敗で1位となり、A級に復帰。(有吉道夫 フレッシュアイペディアより)