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有明海から見たミナミハンドウイルカ
哺乳類ではスナメリやミナミハンドウイルカをはじめとする小型鯨類が棲息する。これらを観察対象とする専用の観光事業も行われているが、有明フェリー等の船上からも観察する事ができる。また、湾奥部の小長井町に坐する長戸鬼塚古墳からは捕鯨の様相を描いた線刻画が発見されており、かつて有明海や天草灘一帯には、コククジラやセミクジラ、ザトウクジラやニタリクジラなどの沿岸性の鯨が見られたと思われる。実際に、1740年には六角川にコククジラが迷行・座礁し、 2014年にはセミクジラが天草沿岸に現れており、どちらも九州西岸では希有な確認である。(有明海 フレッシュアイペディアより)
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有明海から見た町 (単位)
中世より人間の手によって少しずつ干拓が進められたが、江戸時代に入ると米の生産拡大を目的とした干拓が次々と行われるようになり、海岸線の後退は加速した。熊本藩の干拓事業は、藩費のほかに藩主の私費、家老の出費、手永(村より大きい単位)の共同事業としておこなう大規模なものであった。江戸時代の佐賀藩では500箇所、約6300町の水田が作られたが、そのほとんどは藩営事業としてではなく、農民の手によって進められたもので、個々の干拓地は小規模なものであった。長崎県の諫早平野は鎌倉末期以降干拓によって造成されたものであるが、江戸時代には諫早領主(佐賀藩重臣)諫早家による干拓も行われた。(有明海 フレッシュアイペディアより)
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