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有田哲平から見た光GENJI
高校のラグビー部時代、試合では上田がレギュラーであったのに対し、有田はベンチ要員だった。その上、ラグビーのルールをよく理解しておらず、ある試合で上田がボールを持ちトライするべくラインに向かって走ると、有田は何を思ったかチームメイトである上田にタックルを仕掛けたという。初めて出場した試合では試合慣れした様子を出そうと野次を飛ばし審判に注意された。その後気まずさを隠して歩いているとサイドフラッグに引っかかり右腕を折る。恥ずかしくて名乗り出られず、数プレーの間左手だけでボールを扱おうとするも上手くいかず、事情を知らないチームメイトから注意された。また、ある日ラグビー部の皆で将来の夢を話していた時、他の部員は「弁護士」「起業家」などと真面目に目標を述べていたが、有田は「俺は光GENJIに入る!」と真顔で豪語し、一同を呆れさせた。(有田哲平 フレッシュアイペディアより)
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有田哲平から見たビクターエンタテインメント
餓鬼レンジャー「CALL 〜Skit〜」アルバム『ラッキー・ボーイズ』収録(2004年7月21日、ビクターエンタテインメント)高田延彦のものまねで参加。(有田哲平 フレッシュアイペディアより)
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有田哲平から見たコント山口君と竹田君
幼少時から大学入学直後まで裕福な家庭で育つ。熊本大学教育学部附属中学校を経て、熊本県立済々黌高等学校に入学。ラグビー部に入部し上田と出会う。プロレスの話や2人が「お笑いスター誕生!!」を見ていたことで意気投合。高校卒業後、一浪して立教大学法学部に入学。弁護士を目指したが、早稲田大学を中退した上田からの誘いを受け、有田も大学を中退。1991年にコンビ「海砂利水魚」を結成し、コント山口君と竹田君の付き人となる。(有田哲平 フレッシュアイペディアより)