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絹川愛から見た札幌国際ハーフマラソン
復調のきっかけとなったのは東日本大震災だった。高校時代を過ごした仙台も大きく被災したことから、自分が奮闘することで被災地の励みになればと考えたのか見違えるような復活を遂げる。2011年6月12日、日本陸上選手権最終日の女子5000mに出場。15分09秒96(日本歴代6位)の自己ベストで優勝すると同時に世界陸上大邱大会の出場標準記録A(15分14秒00)を突破し、2大会ぶりの世界選手権出場を内定させた。6月22日にはホクレンディスタンスチャレンジ網走大会の女子10000mに出場。31分10秒02(日本歴代4位)の自己ベストで世界陸上競技選手権大会の参加標準記録A(31分45秒00)を突破した。そして同じ北海道で7月3日に行われた札幌国際ハーフマラソンは自身初の本格的マラソン競技であったが、後半驚異の粘りと追い上げを見せ、女子の部で日本人トップとなる第3位の成績となった。(絹川愛 フレッシュアイペディアより)
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福井県立美方高等学校から見た札幌国際ハーフマラソン
2005年世界陸上ヘルシンキ大会女子10000m代表、2004年札幌国際ハーフマラソン優勝、2007年ロッテルダムマラソン優勝(福井県立美方高等学校 フレッシュアイペディアより)
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