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    杉山愛から見たパオラ・スアレス

    その後ダブルスではキム・クライシュテルスと名コンビぶりを発揮し、全仏オープンとウィンブルドンでは共に第1シードのビルヒニア・ルアノ・パスクアル・パオラ・スアレス組を破り、4大大会2連勝を達成し、ダブルスランキング1位に返り咲く。杉山愛 フレッシュアイペディアより)

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    杉山愛から見たエレーナ・リホフツェワ

    ダブルスではこの年からエレーナ・リホフツェワと主にペアを組むことが多くなり、5月のストラスブール国際ではこのペアで準優勝した他、9月のトヨタ・プリンセス・カップではモニカ・セレシュと組んで出場し、単複通じて同大会日本人初優勝を決めている。これらの活躍により年度末ランクはシングルスが20位と初めてトップ20で終了し、ダブルスでも77位 と不調だった前年から52位上昇する25位でシーズンを終えた。杉山愛 フレッシュアイペディアより)

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    杉山愛から見たカーラ・ブラック

    ダブルスではこの年から新たにジュリー・アラール=デキュジスと組み、第2シードで出場した全米オープン決勝で第10シードのカーラ・ブラック&エレーナ・リホフツェワ組を6?0,1?6,6?1のフルセットで下し、1975年ウィンブルドンでアン清村と組んで優勝した沢松和子以来、25年振りのグランドスラム女子ダブルス優勝を果たす。この年は他にもアラール=デキュジスとのペアで4月のマイアミ・マスターズと10月のクレムリン・カップの二つのティアI大会を含むツアー6勝を、またナタリー・トージアとのペアでも1勝を挙げ、年間7勝を記録。この活躍により10月には日本人選手として初めてWTAダブルスランキング1位になり、年度末ランクでも1位でシーズンを終えた。一方シングルスではノーシードで出場した全豪オープン4回戦で、当時世界ランク5位の第4シードマリー・ピエルスを7-5,6-4のストレートで下し、自信初のグランドスラムシングルスベスト8進出を果たす。また全仏オープンでも5年振りに4回戦に進出した。しかしこれ以外では2月のステート・ファーム・クラシックでベスト8に進出した他は全てツアー1?2回回戦負けに終わり、2度目の出場となったシドニーオリンピックでも、第14シードで出場したシングルスは1回戦でエレナ・ドキッチに0-6,6-7(1)で、宮城ナナとのペアで第4シードとして出場したダブルスも2回戦でタイのベンジャマス・サングラム&タマリン・タナスガーンに6-2,5-7,2-6のフルセットで敗退する等、シングルスでスランプに陥る。杉山は後のインタビューでこの頃を振り返り「あの時の私はダブルスばかり戦績が出て、日曜日まで勝ち残るのに、シングルスでは負けが続き、トーナメントの過ごし方が分からなくなっていた。自分のテニスを見失い、それこそ私の打ち方どうなっているの?というレベルまで落ちてしまった。周りの選手達が25?6歳で辞めていった時期でもあり、尚更私はどうなっていくのか」と悩んだという。コーチとの関係も上手く行かなくなり、キャリアで初めて壁にぶつかったと感じた杉山は、米国遠征中に母芙沙子に電話をかけ「もうテニスを辞めたい」と涙ながらに弱音を吐く程追い詰められていた。しかし、この電話を切っ掛けに話し合いの末、シーズン終了後からデヨングに代わり芙沙子がコーチを務める事が決定し、親子二人三脚のツアー転戦が始まる事となる。杉山愛 フレッシュアイペディアより)

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    杉山愛から見たジュリー・アラール=デキュジス

    シングルスでは第4シードのディフェンディングチャンピオンとして臨んだ年初のタルゴ・オーストラリア女子ハードコート選手権では準決勝で第2シードのパティ・シュナイダーに2-6,6-7(6)のストレートで敗退。同じくディフェンディングチャンピオンとして第1シードで臨んだジャパン・オープンでは全試合ストレート勝ちで決勝に進出するも、決勝では第2シードのエミー・フレージャーに2-6,2-6のストレートで敗退し大会3連覇を逃した。この年は他にも第8シードで出場した9月のトヨタ・プリンセス・カップ準々決勝で当時シングルス世界ランク8位、大会第3シードのジュリー・アラール=デキュジスを6-2,7-5のストレートで下す活躍でモニカ・セレスとの準決勝まで進出した他、ノーシードで出場した10月のクレムリン・カップ2回戦でも当時世界ランク6位、大会第1シードのマリー・ピエルスを6-4,3-6,6-3のフルセットで破りベスト8に進出。8月第1週のTIGクラシック1回戦と8月第3週のデュモーリエ・オープン2回戦でも、それぞれ世界ランク6位のマリー・ピエルスと同7位のヤナ・ノボトナを破る活躍があった。しかしその一方前シーズンでは2大会のみだったツアー1回戦負けが8回に及ぶなど好不調の波も激しく、年度末ランキングでは前年の18位より6位順位を下げ24位でシーズンを終えた。杉山愛 フレッシュアイペディアより)

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    杉山愛から見たリーゼル・フーバー

    杉山は再びパートナー探しに悩み、2004年はリーゼル・フーバーと組んだ。その後、急遽エレーナ・デメンチェワをパートナーに指名したが、このコンビは臨時の組み合わせであった。杉山愛 フレッシュアイペディアより)

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    杉山愛から見た沢松奈生子

    1996年は第23シードで出場したリプトン選手権シングルス3回戦で当時世界ランク10位、大会第7シードのヤナ・ノボトナを6-3,6-3のストレートで破り4回戦に進出。第4シードで出場した4月第3週のジャパン・オープンシングルスでは第1シードの伊達公子との準決勝まで進出した他、伊達と組んで主催者推薦で出場したダブルスでも優勝する好成績を残した。翌週の4月27?28日には有明コロシアムで開催されたフェドカップ:ワールドグループ1回戦、対ドイツ戦最終試合のダブルスに於いて、長塚京子とのペアで出場。日本はシングルスで伊達公子、沢松奈生子を、ドイツはシュテフィ・グラフ、アンケ・フーバーと両国ともトップ選手を擁する布陣で臨み、2勝2敗の五分で杉山/長塚組対グラフ/フーバー組のダブルスにチームの勝敗がかかったが、杉山/長塚組はグラフ/フーバー組4-6,6-3,6-3のフルセットの逆転で破り、日本がドイツを破って代表史上初めてワールドグループ準決勝に進出する大金星を挙げた。6?7月のウィンブルドン選手権シングルスでは、3回戦で当時世界ランク5位、大会第5シードのアンケ・フーバーを7-6(3),6-1のストレートで破る活躍で4回戦に進出している。杉山愛 フレッシュアイペディアより)

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    杉山愛から見たリサ・レイモンド

    芙沙子がコーチに就任して最初の年となった2001年はダブルスでニコル・アレントと組んでシーズンを戦う。アレントとのペアで出場した全豪オープンダブルスは準決勝に進出。ツアーでもキャンベル国際とインディアンウェルズ・マスターズで2勝を上げるなど好調であったが、3月のマイアミ・マスターズを最後にペアを解消。その後単発で数人の選手と組むもペア固定とまでは行かずツアー1?2回戦負けが続いた。しかし第4シードとして出場したウィンブルドン選手権で、前年のアキュラ・クラシック以来2度目のペアとなったキム・クライシュテルスとのダブルスが成功し、準決勝で第1シードのリサ・レイモンド&レネ・スタブス組に3-6,7-5,6-2のフルセットで勝利する活躍で同部門2年連続の決勝進出を果たす。決勝では第8シードのビーナス・ウィリアムズ&セリーナ・ウィリアムズ組にストレートで敗れるも、後に本格的に固定ペアとしてツアーを回る切っ掛けとなった。一方シングルスではアキュラ・クラシック2回戦で当時世界ランク5位のクライシュテルスをストレートで下すなどの活躍も見られたがシーズン全体では前年に続き低調な成績が続き、年度末ランクも30位と前年より2ランク上げるに留まった。母芙沙子は当時を振り返り「コーチと選手の関係になってからの1年はお互いが選手とコーチとして自立するのに時間が掛かり葛藤があった」とお互いに戸惑いがあったとしながらも「あの1年があって愛の長い競技人生に繋がったと思う」と述懐している。杉山愛 フレッシュアイペディアより)

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    杉山愛から見たビーナス・ウィリアムズ

    芙沙子がコーチに就任して最初の年となった2001年はダブルスでニコル・アレントと組んでシーズンを戦う。アレントとのペアで出場した全豪オープンダブルスは準決勝に進出。ツアーでもキャンベル国際とインディアンウェルズ・マスターズで2勝を上げるなど好調であったが、3月のマイアミ・マスターズを最後にペアを解消。その後単発で数人の選手と組むもペア固定とまでは行かずツアー1?2回戦負けが続いた。しかし第4シードとして出場したウィンブルドン選手権で、前年のアキュラ・クラシック以来2度目のペアとなったキム・クライシュテルスとのダブルスが成功し、準決勝で第1シードのリサ・レイモンド&レネ・スタブス組に3-6,7-5,6-2のフルセットで勝利する活躍で同部門2年連続の決勝進出を果たす。決勝では第8シードのビーナス・ウィリアムズ&セリーナ・ウィリアムズ組にストレートで敗れるも、後に本格的に固定ペアとしてツアーを回る切っ掛けとなった。一方シングルスではアキュラ・クラシック2回戦で当時世界ランク5位のクライシュテルスをストレートで下すなどの活躍も見られたがシーズン全体では前年に続き低調な成績が続き、年度末ランクも30位と前年より2ランク上げるに留まった。母芙沙子は当時を振り返り「コーチと選手の関係になってからの1年はお互いが選手とコーチとして自立するのに時間が掛かり葛藤があった」とお互いに戸惑いがあったとしながらも「あの1年があって愛の長い競技人生に繋がったと思う」と述懐している。杉山愛 フレッシュアイペディアより)

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    杉山愛から見たジャパン・オープン・テニス選手権

    また杉山はジュニア時代からツアーレベルの大会にも参戦しており、1990年9月のニチレイ・レディースではダブルスで道城まみと組み主催者推薦でツアー初出場。1回戦でエミー・フレージャー&小泉幸枝(日本)組に1-6,2-6のストレートで敗れている。翌1991年には全豪オープンシングルス予選で早くもグランドスラムに挑戦したが、この時は予選1回戦で試合前に棄権している。4月にはジャパン・オープンでツアーシングルス予選に初出場したが、1回戦でヤユク・バスキに7-5,2-6,4-6のフルセットで敗れている。1992年はミズノ・ワールド・レディースで予選を勝ち上がりツアーシングルス本戦初出場を果たすと、1回戦でも雉子牟田直子を1-6,6-2,7-5のフルセットで下しツアー初勝利を手にする。続く2回戦では第4シードの伊達公子とに挑戦したが、1-6,7-5,3-6のフルセットで敗れた。同年10月に17歳3ヶ月でプロ転向。11月28日に大磯プリンスホテルで行われたプロ入り記者会見では「トップ10プレーヤーになれるよう頑張ります!」と、11年後に達成ることになる大きな目標を掲げての出発であった。この年のWTAシングルス年度末ランキングでは180位で終了しており、全日本女子シングルス年間ランキングでも10位につける等、既に日本トップ選手の一人となっていた。杉山愛 フレッシュアイペディアより)

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    杉山愛から見た日本放送協会

    にんげんドキュメント(2001年7月19日、 NHK杉山愛 フレッシュアイペディアより)

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