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BRAVE (プロレス)から見た杉浦貴
ユニット名称に関して、元々は正式名は決まっていなかったが、マスコミや公式サイト等で、ユニット結成時のメンバーが丸藤正道・杉浦貴の2名で、ともに影響力のある選手であることから丸藤・杉浦軍(まるふじ・すぎうらぐん)、杉浦・丸藤軍(すぎうら・まるふじぐん)や丸藤軍(まるふじぐん)、あるいは杉浦軍(すぎうらぐん)などと仮称されていた。2012年4月に一般公募によりBRAVEと決定した。(BRAVE (プロレス) フレッシュアイペディアより)
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NO MERCY (プロレスリング・ノア)から見た杉浦貴
8月17・18日ディファ有明大会で開催された2DAYSタッグ・トーナメントでは、高山・KENTA組が出場。1回戦でANMU代表チームの潮崎豪・鈴木鼓太郎のヘビー級・ジュニアヘビー級シングル王者コンビと対戦し勝利。決勝戦では、杉浦貴とANMUの青木篤志のコンビと対戦し、勝利。優勝を飾った。(NO MERCY (プロレスリング・ノア) フレッシュアイペディアより)
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ディスオベイから見た杉浦貴
同年10月の日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦が始まると、ヨネが欠場している力皇が安心してリハビリに専念できるように新メンバー勧誘を示唆。新世代の旗頭として急成長株であることを理由に潮崎豪にチーム加入を要請した。同シリーズ最終戦の同月30日後楽園ホール大会第7試合での杉浦貴、モハメド・ヨネ、潮崎豪組対高山善廣、佐野巧真、井上雅央組において、試合中にヨネと潮崎が見事な連係プレーを見せて勝利。試合後にヨネがチーム加入と握手を求めると、リングサイドに対立する鈴木鼓太郎と小川良成が現れ、加入しないように求める。潮崎はヨネと握手を交わすもののそのままショートレンジ式ラリアットをヨネに見舞い、鈴木・小川と握手し、鈴木側に加入を宣言した。直後のインタビューでヨネは「こんなに哀しいラリアットを喰らったのは初めてだ」と発言。これにより、この一連の事件は日本テレビ中継において『哀しみのラリアット』事件と称されるようになった。(ディスオベイ フレッシュアイペディアより)
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レッスルキングダム (プロレス興行)から見た杉浦貴
2009年10月12日、「レッスルキングダムIV in 東京ドーム」の開催を正式発表。今回はプロレスリング・ノアとの対抗戦を中心にカードが組まれた。11月に業務提携を結んだCMLLに海外遠征中の裕次郎、内藤哲也が一時帰国。IWGPタッグ選手権3WAYハードコアルールマッチに王者組チーム3D、挑戦者のバーナード、アンダーソン組に混じって電撃凱旋が決定。さらにSUPER J-CUP5th STAGE覇者丸藤正道が参戦。IWGPジュニアヘビー級王者のタイガーマスクと対戦する。また、棚橋弘至と潮崎豪の次世代エース対決、後藤洋央紀と杉浦貴とのGHCヘビー級選手権試合が実現。さらに真壁刀義は12月13日に乱入してきたモハメド・ヨネにシングルマッチを要求。以上の四人がノア対抗戦として出陣することになった。また、IWGPヘビー級王者中邑真輔は高山善廣との6年ぶり4度目の一騎討ちを行うことが決定。永田裕志は9月に結成した青義軍の助っ人として曙をパートナーにTAJIRI & ZERO1の田中将斗と対戦。その他にテリー・ファンク、アブドーラ・ザ・ブッチャー、CMLLからはアベルノ、ウルティモ・ゲレーロが参戦。今回は選手の負傷などはなかったものの、今大会の開催決定日が昨年より遅く、他団体との交渉でカード発表も遅くなり、今年のカード編成も難航したと思われる。しかし、今年は2階スタンドを最初から解放し観客動員数も公式発表では41,500人と昨年の動員数より上回った。菅林直樹社長曰く「頭数的には微増したが昨今の経済事情を考えると大健闘」と発言している。また、毎年フィールズがスポンサーを務めていたが、今大会はユークスがスポンサーを担当した。(レッスルキングダム (プロレス興行) フレッシュアイペディアより)