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    李承ヨプ (野球)から見た今江敏晃

    オープン戦において打率.050の大不振のまま開幕2軍スタート。しかし、昇格と同時にロッテの下位打線に定着し、このシーズンは打率.260・本塁打30・打点82とプレーオフ進出に貢献。プレーオフは7試合で16打数3安打と鳴りを潜めたが、阪神タイガースとの日本シリーズでは井川慶から本塁打を放った。第3戦ではスタメンを外れたものの、第4戦は先制本塁打を放つなどシリーズ計3本塁打を放って日本一に貢献し、優秀選手賞を受賞した(MVPは今江敏晃)。続くアジアシリーズでは古巣・サムスンとの対決となり、第1戦では5番、決勝戦では3番と主軸を任されたものの、2戦で無安打に終わった。「シーズンを通じて調子の波が大きい」「左投手に弱い」との理由で、相手先発が左投手のときはスタメンを外されるなど、ロッテ時代は最後まで固定レギュラーを任せられなかった。ボビー・バレンタインがプラトーン・システムを採用する監督だったためでもある。守備位置も、李は本来一塁手だが、ロッテの一塁には福浦和也がいたため、DHや左翼手でも出場するなど守備機会は安定しなかった。ロッテに残留との合意報道も出ていたが、ロッテでの起用法に不満があったため、自由契約となる。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見たボビー・バレンタイン

    復帰間もないボビー・バレンタイン監督のもと、開幕を4番で迎える。開幕戦の対西武ライオンズ戦(西武ドーム)で、松坂から初打席初安打初打点を記録、4月4日の福岡ダイエーホークス戦では新垣渚から来日初本塁打を千葉マリンスタジアムのライト後方の場外まで飛ばすなど好調だったものの、縦の変化球に対応できない弱点が露呈。インコース高めで身体を起こされ、外への変化球で空振りするというパターンが確立され、日本野球への適応に苦戦。開幕からわずか1か月で韓国では経験したことのない降格となり、調整を余儀なくされた。9月21日の西武戦(西武ドーム)ではベニー・アグバヤニ、マット・フランコと共に張誌家から史上初となる外国人3者連続本塁打を放った。結局、シーズンは来日前に目標としていた「打率.290、30本塁打、100打点」には遠く届かず、規定打席も満たせずに打率.240・本塁打14・打点50という期待外れの成績に終わった。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見たセス・グライシンガー

    オリンピック終了後、8月28日に出場選手登録された。外国人枠(アレックス・ラミレス、マーク・クルーン、セス・グライシンガー+李の4人でいっぱいの状況で、エイドリアン・バーンサイドの登板予定があった)の関係で9月4日にいったん二軍落ちしたものの、9月14日に一軍昇格してからは復調して最終戦まで5番で起用された。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見たバリー・ボンズ

    2007年から代表チームでの背番号を25に変更した。サムスン時代の親しい後輩である裵英洙の背番号で(WBCで25番を付けたのも彼と背番号を交換したため。裵はこの大会で李の背番号だった36をつけていた)、25番は選手として目標としている選手の1人であるバリー・ボンズの番号でもある。韓国時代に36番をつけたのは、打者に定着する時、それまで韓国プロ野球で個人通算および年間最多本塁打を記録していた張鍾勲を超えろという意味で、彼の背番号である35より一つ大きい36を与えられたからである。なお、サムスン入団時は高校時代に着けていた27を希望していた。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見た井川慶

    オープン戦において打率.050の大不振のまま開幕2軍スタート。しかし、昇格と同時にロッテの下位打線に定着し、このシーズンは打率.260・本塁打30・打点82とプレーオフ進出に貢献。プレーオフは7試合で16打数3安打と鳴りを潜めたが、阪神タイガースとの日本シリーズでは井川慶から本塁打を放った。第3戦ではスタメンを外れたものの、第4戦は先制本塁打を放つなどシリーズ計3本塁打を放って日本一に貢献し、優秀選手賞を受賞した(MVPは今江敏晃)。続くアジアシリーズでは古巣・サムスンとの対決となり、第1戦では5番、決勝戦では3番と主軸を任されたものの、2戦で無安打に終わった。「シーズンを通じて調子の波が大きい」「左投手に弱い」との理由で、相手先発が左投手のときはスタメンを外されるなど、ロッテ時代は最後まで固定レギュラーを任せられなかった。ボビー・バレンタインがプラトーン・システムを採用する監督だったためでもある。守備位置も、李は本来一塁手だが、ロッテの一塁には福浦和也がいたため、DHや左翼手でも出場するなど守備機会は安定しなかった。ロッテに残留との合意報道も出ていたが、ロッテでの起用法に不満があったため、自由契約となる。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見た福浦和也

    オープン戦において打率.050の大不振のまま開幕2軍スタート。しかし、昇格と同時にロッテの下位打線に定着し、このシーズンは打率.260・本塁打30・打点82とプレーオフ進出に貢献。プレーオフは7試合で16打数3安打と鳴りを潜めたが、阪神タイガースとの日本シリーズでは井川慶から本塁打を放った。第3戦ではスタメンを外れたものの、第4戦は先制本塁打を放つなどシリーズ計3本塁打を放って日本一に貢献し、優秀選手賞を受賞した(MVPは今江敏晃)。続くアジアシリーズでは古巣・サムスンとの対決となり、第1戦では5番、決勝戦では3番と主軸を任されたものの、2戦で無安打に終わった。「シーズンを通じて調子の波が大きい」「左投手に弱い」との理由で、相手先発が左投手のときはスタメンを外されるなど、ロッテ時代は最後まで固定レギュラーを任せられなかった。ボビー・バレンタインがプラトーン・システムを採用する監督だったためでもある。守備位置も、李は本来一塁手だが、ロッテの一塁には福浦和也がいたため、DHや左翼手でも出場するなど守備機会は安定しなかった。ロッテに残留との合意報道も出ていたが、ロッテでの起用法に不満があったため、自由契約となる。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見た渡辺俊介

    レギュラーシーズンでは上記のWBCでの活躍や、高橋由伸、小久保裕紀といった主軸が毎年のように故障していたこともあり、この年から巨人の監督に復帰した原辰徳は李を開幕から4番打者として起用。その開幕戦(東京ドーム、対横浜ベイスターズ戦)で加藤武治から巨人移籍後初本塁打を放った。6月11日のロッテ戦(千葉マリン)では渡辺俊介から勝ち越し2点本塁打を放ったが、走者の小関竜也が三塁を空過したため、この打席の記録は単打として記録された。8月1日には日韓通算400本塁打を達成、故障者続出の中でフル出場を続け、打率.323・本塁打41・打点108と来日以降最高の成績をマークした。前年まで苦しんでいた左投手に対してもこの年は打率.338をマークするなど、完全克服を印象付ける。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見た渡邉恒雄

    開幕一軍入りを果たしたがスタメン起用は少なく、出場56試合、打率.163・本塁打5本・打点11と自己最低の成績に終わった。これについて「渡邉恒雄が巨額の複数年契約に見合う成績を李が残さなかったことを遠まわしに批判したような内容のコメントを発した」という一部報道もあった。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見た牧田和久

    2010年12月2日、1年推定年俸1億5000万円プラス出来高払いの契約でオリックスに移籍。背番号は3。ユニフォームの背ネームはロッテ、巨人時代の「LEE」とは異なり、「LEE S.Y.」となった。2005年まで在籍していたロッテ以来、6年ぶりのパシフィック・リーグ復帰となった。中軸として期待され、開幕第2戦では移籍後初本塁打となる3ランを京セラドーム大阪の上段席に運ぶ活躍を見せたが、春先から三振が目立つなどの極度の不振に喘ぎ、5月8日に一旦登録抹消。5月22日に再登録され、その日の古巣・巨人戦で4番スタメンで先発出場。7月9日の西武戦では、日本通算150本塁打を記録した。9月16日のロッテ戦(QVCマリンフィールド)では前夜にユニフォームの入った荷物を提出し忘れて試合までにユニフォームが届かなかったため、鴨志田貴司のユニフォームを着て試合出場する珍事があった。この年は主に6番でスタメン起用されたが、打率は伸び悩み、打撃成績は122試合で打率.201、15本塁打、51打点にとどまった。得点圏打率は.265を記録し、8月14日の西武戦では10回裏に牧田和久から自身5年ぶりのサヨナラ2ラン本塁打を放つ等、随所では勝負強さも披露したが、この年限りで退団したい旨を球団に申し出て受理された。日本での最終打席はファーストゴロに終わり、チームは3年ぶりのクライマックスを1毛差で逃した李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見たアレックス・ロドリゲス

    、6月22日の対SKワイバーンズ(大邱市民運動場野球場)戦において、8回裏に金圓衡から通算300号本塁打を放つ。26歳10か月での到達は日本プロ野球の王貞治(27歳3カ月)やMLBのアレックス・ロドリゲス(27歳8カ月)を抜く世界最年少記録とされる、なおこの試合では同点で迎えた9回裏二死満塁の場面に打席が回り、自身初となるサヨナラ満塁本塁打を放っている。序盤から本塁打を量産し、56本塁打を放った。56本目の本塁打は「2億ウォンの価値がある」とされたほか、「(ファンが55号を虫取り網で取ったことから)本拠地の大邱市民運動場野球場では虫取り網が飛ぶように売れる」「李が敬遠されるとグラウンドにゴミが投げ入れられる」など熱狂が拡がった。しかし、55号を放ってから最終戦になるまで本塁打が出ず、李も「(56本は)難しいかもしれない」と弱音を吐いていたが、最終戦に56号本塁打を放った。このボールは満員のスタンドに入らず、当時設置されていたラッキーゾーンに落ち、そこで記念イベントの準備をしていた関係者に拾われて球団に寄贈された。アテネオリンピック野球予選を兼ねたアジア選手権大会では来日して日本戦で4打数1安打を記録している。なお、このとき韓国代表は台湾に敗れて予選敗退に終わっている。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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