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    李承ヨプ (野球)から見た石井弘寿

    1月19日に読売ジャイアンツへの入団が発表された。単年契約を結び、背番号は33。第1回WBC韓国代表に選出され、一次リーグの日本戦では石井弘寿から逆転2点本塁打、二次リーグのメキシコ戦、アメリカ戦でも先制本塁打を放つなど、4試合連発を含む大会最多の5本塁打・10打点を記録する大活躍で韓国代表を4強に導き、記者投票による優秀選手(ベストナイン)に一塁手として選出された。レギュラーシーズンではWBCでの活躍や、高橋由伸・小久保裕紀などの主軸が毎年のように故障していたこともあり、原辰徳は李を開幕から4番打者として起用。6月11日のロッテ戦(千葉マリン)では渡辺俊介から勝ち越し2点本塁打を放ったが、走者の小関竜也が三塁を空過したため、この打席の記録は単打として記録された。8月1日には日韓通算400本塁打を達成、故障者続出の中でフル出場を続け、打率.323・本塁打41・打点108と来日以降最高の成績をマークした。前年まで苦しんでいた左投手に対してもこの年は打率.338をマークするなど、完全克服を印象付ける。シーズン終了後に再びメジャー移籍を目指すと思われたが終盤に膝を痛め、オフシーズンに内視鏡手術を受け、オフをリハビリに費やすことになる。巨人の熱心な説得もあり、2007年から4年総額30億円(推定年俸6億5千万円)と朝鮮日報が報じたが、ロイターは年俸2億2千万円と報じている。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見た梁ジュン赫

    韓国球界を代表する国民的打者であり、韓国メディアからは「野球に関しては神の域に到達した」などとすら言われることがある。韓国プロ野球において在籍9年間で通算324本塁打を記録し(韓国プロ野球で通算300本塁打以上は梁埈赫、張鍾薫、沈正洙を含む4人)、MVP5回・本塁打王5回・打点王4回を獲得。2004年から2011年まで、三星ライオンズ時代につけていた背番号36は同球団の永久欠番扱いだった。国際大会では約10年間に渡り、韓国代表の主軸打者として活躍した。韓国野球を世界屈指の強豪に押し上げた立役者とされ、その土壇場での一振りで試合を決める威力と勝負強さから、韓国マスコミからは「解決者」と表現されている。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見た小関竜也

    1月19日に読売ジャイアンツへの入団が発表された。単年契約を結び、背番号は33。第1回WBC韓国代表に選出され、一次リーグの日本戦では石井弘寿から逆転2点本塁打、二次リーグのメキシコ戦、アメリカ戦でも先制本塁打を放つなど、4試合連発を含む大会最多の5本塁打・10打点を記録する大活躍で韓国代表を4強に導き、記者投票による優秀選手(ベストナイン)に一塁手として選出された。レギュラーシーズンではWBCでの活躍や、高橋由伸・小久保裕紀などの主軸が毎年のように故障していたこともあり、原辰徳は李を開幕から4番打者として起用。6月11日のロッテ戦(千葉マリン)では渡辺俊介から勝ち越し2点本塁打を放ったが、走者の小関竜也が三塁を空過したため、この打席の記録は単打として記録された。8月1日には日韓通算400本塁打を達成、故障者続出の中でフル出場を続け、打率.323・本塁打41・打点108と来日以降最高の成績をマークした。前年まで苦しんでいた左投手に対してもこの年は打率.338をマークするなど、完全克服を印象付ける。シーズン終了後に再びメジャー移籍を目指すと思われたが終盤に膝を痛め、オフシーズンに内視鏡手術を受け、オフをリハビリに費やすことになる。巨人の熱心な説得もあり、2007年から4年総額30億円(推定年俸6億5千万円)と朝鮮日報が報じたが、ロイターは年俸2億2千万円と報じている。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見たエイドリアン・バーンサイド

    手術明けであったが、宮崎春季キャンプを2月半ばで早々に切り上げ、3月からの北京オリンピック野球世界最終予選に韓国代表として出場し、打率.478・本塁打2・打点12という成績で韓国代表を2大会ぶりの本戦出場に導いた。しかし、その余波でオープン戦には2試合しか出場できず、調整の遅れが生じて開幕から14試合で打率.135・本塁打0・打点2と低迷し、4月14日には早々に降格した。北京オリンピック派遣直前の7月25日に再昇格したものの成績は振るわず、打率.141のまま北京五輪に参加した。五輪では韓国代表として出場したが、シーズンの不調を引きずった形で打率1割台となり、予選最終戦ではスタメンを外されるほどの不振に陥った。しかし、準決勝の日本戦では勝ち越し本塁打、決勝のキューバ戦でも先制本塁打を放ち、韓国野球初の金メダル獲得に貢献した。チームに復帰後は8月28日に昇格したが、エイドリアン・バーンサイドの登板予定があるほか、外国人枠(ほか3人はアレックス・ラミレス、マーク・クルーン、セス・グライシンガー)の関係で9月4日に再降格。9月14日に再昇格してからは復調して最終戦まで5番で起用された。結局、45試合で打率.248・本塁打8・打点27。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見た鴨志田貴司

    2010年12月2日、1年推定年俸1億5000万円プラス出来高払いの契約でオリックス・バファローズに移籍。背番号は3に決まった。2005年まで在籍していたロッテ以来、6年ぶりのパシフィック・リーグ復帰となった。中軸として期待され、開幕第2戦では移籍後初本塁打となる3ランを京セラドーム大阪の上段席に運ぶ活躍を見せたが、春先から三振が目立つなどの極度の不振に喘ぎ、5月8日に一旦登録抹消。5月22日に再登録され、その日の古巣・巨人戦で4番スタメンで先発出場。9月16日のロッテ戦(QVCマリンフィールド)では前夜にユニフォームの入った荷物を提出し忘れて試合までにユニフォームが届かなかったため、鴨志田貴司のユニフォームを着て試合出場する珍事があった。この年は主に6番でスタメン起用されたが、打率は伸び悩み、打撃成績は122試合で打率.201、15本塁打、51打点にとどまった。得点圏打率は.265を記録し、8月14日の西武戦では10回裏に牧田和久から自身5年ぶりのサヨナラ2ラン本塁打を放つ等、随所では勝負強さも披露したが、この年限りで退団したい旨を球団に申し出て受理された。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見たジャック・ハウエル

    阪神との最大13ゲーム差を逆転してリーグ連覇(メークレジェンド)し、クライマックスシリーズでは16打数・4安打・2本塁打・4打点の活躍を見せた。しかし、日本シリーズでは18打数・2安打・12三振の大不振に陥り、チームも日本一を逃した。12三振はジャック・ハウエルが1992年に記録した16三振に次ぐ記録で、巨人選手としてはチーム新記録であった。その後、来日以来最低の成績に終わった今季を「野球人生で最悪の1年だった」と振り返り、翌年に集中するとして2009 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表を辞退することを表明した。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見た涌井秀章

    150本塁打:2011年7月9日、対埼玉西武ライオンズ8回戦(西武ドーム)、6回表に涌井秀章から右越ソロ ※史上155人目李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見たマット・フランコ

    復帰間もないボビー・バレンタインのもと、開幕を4番で迎える。開幕戦である対西武ライオンズ戦(西武ドーム)で、松坂大輔から初打席初安打初打点を放つなど好調だったものの、縦の変化球に対応できない弱点が露呈。インコース高めで身体を起こされ、外への変化球で空振りするというパターンが確立され、日本野球への適応に苦戦。開幕からわずか1か月で韓国では経験したことのない降格となり、調整を余儀なくされた。9月21日の西武戦(西武ドーム)ではベニー・アグバヤニ、マット・フランコと共に張誌家から史上初となる外国人3者連続本塁打を放った。結局、シーズンは来日前に目標としていた「打率.290、30本塁打、100打点」には遠く届かず、規定打席も満たせずに打率.240・本塁打14・打点50という期待外れの成績に終わった。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見たジョーン・ジェット

    巨人に移籍後、打席に入る際のBGMは2008年まではジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツの『I Love Rock n'Roll』を使用していたが、2009年はユン・ドヒョンの『ママの歌』になっている。オリックスではDrunken Tigerの『Monster』を使用していた。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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    李承ヨプ (野球)から見た日韓クラブチャンピオンシップ

    WBC出場を辞退。体調を整え、オープン戦では打率.302・本塁打8本・17打点と好調を維持したが、開幕と同時に絶不調となり、エドガルド・アルフォンゾとの併用で右投手登板時を中心に出場となった。16本塁打を記録するもチャンスに結果が残せず、打率.300を超える時期があったものの無安打が続き、打率を大幅に落としたほか、一塁守備もミスが目立ったため、昇格と降格を繰り返す、さらに腰痛も発症して抹消され、そのままシーズンを終えた。ファーム日本選手権に李炳圭とともに先発出場した。しかし、日本シリーズでは好調で適時打や本塁打を放つなどして巨人の優勝に貢献し、更に日韓クラブチャンピオンシップでも活躍して巨人の日韓クラブチャンピオンシップ制覇に貢献した。一軍成績は出場77試合、打率.229・本塁打16本・打点36点。前年と同様、不振の続いたシーズンとなった。李承ヨプ (野球) フレッシュアイペディアより)

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