
村山弘義から見た千秋楽
当初は、千秋楽の7月25日まで22日間の代行となる予定であった。しかし、武蔵川理事長の体調不良に加えて、理事長の指名を受けて場所後に代行に就くと発表された出羽海事業部長が、特別調査委員会のメンバーによる維持員席の暴力団へ渡った問題で報告を受けながら黙認したことを問題視される事態となった。そのため、村山が場所後も代行を継続することになり、8月5日武蔵川理事長が理事長職に復帰するまで代行職を務めた。その武蔵川も8月12日に理事長を退き、後任の放駒理事長のもとで新設された副理事長に就任することとなった。(村山弘義 フレッシュアイペディアより)