-
村松有人から見た東北楽天ゴールデンイーグルス
1500試合出場:2007年7月7日、対東北楽天ゴールデンイーグルス10回戦(フルキャストスタジアム宮城)、2番・左翼手で先発出場 ※史上153人目(村松有人 フレッシュアイペディアより)
-
村松有人から見たオリックス・バファローズ
この年のオフに「特徴である足に負担が少ない、天然芝のグラウンドのチームでプレーしたい」という理由と、当時のダイエー球団社長兼オーナー代行だった高塚猛の独善的な言動・行為に不信感を持ったことからFA宣言し、オリックス・ブルーウェーブへ移籍。(村松有人 フレッシュアイペディアより)
-
村松有人から見た阪神タイガース
、脇腹を痛め開幕に間に合わなかった柴原を8番・右翼手に追いやり、1番・中堅手として復活を果たす。開幕から打率3割を維持し、それまでの12年間で2本塁打とほとんど本塁打が打てなかった(初出場から連続打数本塁打無しの日本記録保持)が、この年は6本塁打を放つ。7月1日にはサイクル安打を達成した。ダイハード打線の核弾頭として、打率.324(リーグ8位)、150安打、6本塁打と自己最高の打撃成績に加え、歴代5位タイとなる13三塁打を記録。盗塁王争いでも井口資仁との激しい競争をリードしていたが、8月23日の対千葉ロッテマリーンズ戦(福岡ドーム)で捕球を試みた際に右鎖骨を骨折して離脱。終盤戦を棒に振って盗塁王と最多安打を逃すが驚異的な回復を見せ、日本シリーズ(対阪神タイガース戦)には復帰して日本一に貢献した。(村松有人 フレッシュアイペディアより)
-
村松有人から見た大阪近鉄バファローズ
初本塁打:1998年4月12日、対近鉄バファローズ3回戦(大阪ドーム)、1回表に岡本晃から右越先頭打者本塁打 ※1566打席目の初本塁打はNPB史上2番目(当時は史上最高)に遅い記録(村松有人 フレッシュアイペディアより)