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松平信定から見た東三河
清康の指揮のもと、享禄2年(1529年)、信秀家臣酒井秀忠居城の尾州・品野城を落として居城としたが、この頃から信定は清康に対して不穏な動きを示すようになった。清康は外征の矛先を今川氏輝麾下にあった東三河に転じ、享禄3年(1530年)の八名郡熊谷実長の居城宇利城攻撃に参陣する。『三河物語』によれば、宇利城大手口の寄せ手として、次兄の福釜松平家親盛とともに戦うが、劣勢となった親盛に尾張守山へ出陣した際は病と称して命令助勢を送らなかったため、結果として親盛の父子を死なせた。これが本陣で目撃していた清康の逆鱗に触れ、合戦後に衆目の前で面責を受けたという(一説にこれを深く恨んだともいう)。また、同年に牧野信成の吉田城を攻めた際、城の西岸・宝飯郡下地において城方と会戦した(下地合戦)際、緒戦の戦況の不利に興奮し敵中への突撃を試みる清康に対して、「大将に討ち死にをさせよ」と発言し敢えて制止しなかったともいう。(松平信定 フレッシュアイペディアより)
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ちぎり文学賞から見た東三河
1990年に創設された。東三河地域における文学の向上と発展を目指し、年に一度、文学作品(小説・エッセイ・詩・シナリオ・童話など)の募集を行っている。東愛知新聞社が主催している。豊橋ちぎりライオンズクラブが共催している。愛知県・愛知県教育委員会、豊橋・豊川・蒲郡・新城・田原各市教育委員会、公益財団法人豊橋文化振興財団、株式会社エフエム豊橋などが後援している。豊橋信用金庫、蒲郡信用金庫、豊川信用金庫、岡崎信用金庫、豊橋商工信用組合などが協賛している。映画監督の菅原浩志が審査委員長を務めている。応募資格は、東三河在住・在勤・在学の人に限られる。一般の部と中・高校生の部がある。(ちぎり文学賞 フレッシュアイペディアより)
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