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神戸大空襲から見た東京大空襲
神戸とその周辺地域は1945年(昭和20年)1月3日から終戦までの約8ヶ月間に大小合わせて128回の空襲を受け、特に2月4日の無差別焼夷弾爆撃は後の東京大空襲に始まる市街地絨毯爆撃の実験的なものと言われ、 神戸でも3月17日および6月5日の市街地絨毯爆撃と川西航空機甲南工場を標的とした5月11日の戦略爆撃によって大きな被害を受けた。それ以前の空襲が軍事施設や軍需工場への精密爆撃であったものが、この日の爆撃が焼夷弾による爆撃へとアメリカ軍の爆撃方針を転換するための実験的焼夷弾攻撃であり、兵庫区周辺、林田区、湊東区に特に集中し投下された。3月10日の東京大空襲を皮切りに都市部に対する無差別焼夷弾爆撃が本格化し、名古屋、大阪への空襲の後の3月17日未明には、兵庫区、林田区、葺合区など神戸市西部が壊滅的被害を受けた。5月11日には、東灘区の航空機工場が精密爆撃を受ける。この空襲では、灘区・東灘区が大きな被害を受けた。さらに6月5日の空襲により、西部の垂水区から東部の西宮市までの広範囲が爆撃され、それまでの被害が少なかった神戸市の東半分が焦土と化し、3度の大空襲でほぼ神戸市全土が壊滅した。(神戸大空襲 フレッシュアイペディアより)
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とと姉ちゃんから見た東京大空襲
1944年(昭和19年)、戦局は激しさを増していく。甲東出版の社員たちは徴兵されていき、やがて独り残された常子は社の蔵書で貸本業を営む。妹たちは学校を卒業し、鞠子は軍需工場の事務職、美子は軍服の縫製工場で働くが、美子の宝物を物々交換に差し出す程に食糧事情は厳しく、更に隣組組長に理不尽な言動をされ怒りを堪えながら小橋家は日々を暮らしていく。1945年(昭和20年)、常子は東京大空襲から焼け出された人々の群れの中に妹弟を連れて歩くお竜を見つける。小橋家に招かれ休息するお竜は、戦争が終わったら色々な事を知りたいという希望を常子に話し、翌日避難先へ旅立っていく。小橋母子が空襲や女世帯の危険に不安を感じ始めたある日、突如叔父の小橋鉄郎が訪れ、彼女たちのために同居を始める。そして8月、玉音放送を聞いた常子は、戦争に負けた悔しさを感じつつも、自由に雑誌を作れる喜びに心を弾ませる。(とと姉ちゃん フレッシュアイペディアより)
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東京が戦場になった日から見た東京大空襲
NHK名古屋放送局の制作の終戦ドラマは、『鬼太郎が見た玉砕 〜水木しげるの戦争〜』(2007年)から作られており本作で6作目。通常、8月15日の終戦の日近辺に放送されていたが、東京大空襲のあった3月10日近辺の放送となった。また8月15日と10月25日に10分拡大版で再放送された。(東京が戦場になった日 フレッシュアイペディアより)
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持ち分合同 (新聞)から見た東京大空襲
1945年3月、東京大空襲が起こり、時の首相・小磯国昭は空襲の頻繁な発生や新聞の輸送のための輸送・交通事情が悪化したことを受けて「戦局ニ対処スル新聞非常態勢ニ関スル暫定措置要綱」を制定する。これは、全国紙(当時は「中央紙」)と呼ばれている朝日新聞、毎日新聞、讀賣報知(当時は読売新聞と報知新聞は経営統合の状態にあった)については、東京都(東京本社)、大阪府(大阪本社)、福岡県(西部本社)の発行3拠点と、その周辺の地域(埼玉県、千葉県、神奈川県、兵庫県の一部、京都府、滋賀県、奈良県、和歌山県、山口県)については従来通り全国紙単独で発行することとし、それ以外は地方輸送をやめて、その地域の代表的な地方紙に全国紙3紙の題号を一緒に掲載するというものである。(持ち分合同 (新聞) フレッシュアイペディアより)
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東京都立図書館から見た東京空襲
戦時中の1943年(昭和18年)7月1日、東京府と東京市を廃止し、新たに東京都制が施行された。これを受けて東京都下の公立図書館は東京都立図書館に移行し、多摩地域の公共図書館を含めた都下の図書館は中央図書館に指定された日比谷図書館の指揮監督の下に置かれることとなった。しかし時局は既に市民の読書どころではなく、1944年(昭和19年)4月には国民学校附設の図書館13館が閉館し、東京空襲が激化した1945年(昭和20年)以降はそれが加速した。1月27日の空襲では深川図書館が焼夷弾の投下を受け、3月10日の東京大空襲(下町空襲)でも4館が大きな被害を受け、5月25日の山の手空襲では日比谷図書館の全焼を含め7館が全焼、一連の空襲で焼失した蔵書数は日比谷図書館の20万冊超をはじめ、都立図書館全体での被害は40万冊を超えた。またこの間貴重資料の疎開や、民間からの重要図書の買い上げと疎開も進めており、買い上げた書物は西多摩郡多西村(現・あきる野市)や埼玉県北足立郡志木町(現・志木市)に用意した倉庫に運び込まれた。その内焼亡したものも数万冊に及ぶものの、8月末までに購入した書物は20万冊を超え、買収にあてた費用は230万円に達した。(東京都立図書館 フレッシュアイペディアより)
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東京都の歴史から見た東京大空襲
第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)7月1日には、東京市と東京府は廃止され、東京都が設置された。初代東京都長官は、内務省出身の大達茂雄であった。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)3月10日には東京大空襲によって下町を中心に甚大な被害を受け、都庁舎も失った。その後の空襲による被害もあわせて、市街地の多くが焼け野原と化した。また、小笠原諸島の硫黄島では地上戦が行われ、日米両軍が多大な犠牲を払った戦いとなった。第二次世界大戦の終結により、旧日本軍の基地や施設は、連合国軍に順次接収された。208ヶ所あった都内の米軍基地は、多年にわたる取組みの歴史を経て、現在は8ヶ所になっている。(東京都の歴史 フレッシュアイペディアより)