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  • 羽越豪雨

    羽越豪雨から見た東北電力東北電力

    胎内川流域では上流の新潟県企業局・胎内第一ダムで一日総降水量が645ミリ、同胎内第一発電所で542ミリを記録。北蒲原郡中条町と黒川村(いずれも現在の胎内市)では胎内川中流部の赤川と下流部の熱田坂で堤防が決壊、家屋の浸水が2,170戸、農地などの浸水が2,330ヘクタールに及んだ。また三面川流域では上流部で二日間に391.5ミリの豪雨を記録、下流の村上市では浸水被害は拡大。加治川流域では東北電力・加治川ダムで一日に496ミリを記録したのを始め各所で300ミリ以上の豪雨を記録。これにより前年の集中豪雨で決壊した新発田市西名柄地区と加治川村(現在の新発田市)向中条で堤防が再度決壊し、支流の姫田川や坂井川も決壊して新発田市は二年連続で大きな被害を受けた。阿賀野川水系では福島潟が増水して周辺の地域に浸水被害を出し、佐渡では国府川が決壊して浸水被害を与えた。羽越豪雨 フレッシュアイペディアより)

  • サミットエナジー

    サミットエナジーから見た東北電力東北電力

    茨城県鹿嶋市にサミットウインドパワー鹿嶋発電所、山形県酒田市にサミットウインドパワー酒田発電所を所有。発電した電力はそれぞれ東京電力、東北電力に販売される。サミットエナジー フレッシュアイペディアより)

  • 高根第一ダム

    高根第一ダムから見た東北電力東北電力

    高根第一発電所は揚水発電であることから、高根第一と第二の二ダムを建設しなければならない。ダム建設に伴い高根村で69戸の住民が移転を余儀なくされたが、その大半は第二ダム建設に伴うもので、高根村中心部である日影地区と大古井地区が水没するため地元の反対運動は当初激しいものがあった。このうち高根第一ダムにおいては特に農業補償が紛糾したが、当時の高根村では飛騨牛飼育とワラビの根を加工して粉末にするワラビ粉の生産が盛んであり、生業として多額の収益を上げていた。しかし高根第一ダム建設により牧場やワラビが生育する村民共同所有の原野が水没、移転によりこれらの収入源が途絶えることから移転住民はこれら農業の損失補償を強く求めた。既に朝日ダム建設においてワラビ粉生産損失の補償が行われていたこともあって、最終的には松野幸泰岐阜県知事の仲介にて生活再建補償として牧場については1世帯当たり50万円、ワラビ粉生産補償については生産額の多寡に応じ上中下の三段階に分け、それぞれ20万、15万、10万円の補償を1世帯当たりに実施した。なお、補償金については現金支給ではなく、中部電力社債による支給が大多数の世帯で実施された。ダム補償金は概ね高額であり、一度に多額の補償金を手にすることで移転住民の金銭感覚が狂い、結果的に身を持ち崩すといった問題が起きており、田子倉ダム(只見川)での一部住民の末路が城山三郎の『黄金峡』にも描かれている。中部電力はこのような事態を防ぐために社債購入による堅実な運用で、住民の生活基盤を維持しようと一般補償費の13パーセントを社債に転換し購入を勧めたところ、移転する69戸のほぼ全てに当たる64戸の住民が応じた。こうした社債などの証券による補償は東北電力が、山形県の八久和ダム(八久和川)で移転する住民に株券を補償金の一部として提供した例がある。高根第一ダム フレッシュアイペディアより)

  • 須田貝ダム

    須田貝ダムから見た東北電力東北電力

    この計画で矢木沢地点(矢木沢ダム)と幸知地点(藤原ダム)が多目的ダム建設対象地点に組み込まれたことにより、両地点の発電ダム計画は事実上建設省に移管され、日本発送電は電気事業者として共同参画するに留まった。さらに尾瀬原ダム計画も只見川水利権を巡る福島県・新潟県と群馬県の対立に加え、1951年(昭和26年)の「電力事業再編令」により誕生した東京電力と東北電力の尾瀬を巡る対立、翌1952年(昭和27年)に発足した電源開発株式会社が只見川の水力発電事業に参入するに及んで、混沌とした状態に陥った。事態の収拾を図るため1953年(昭和28年)に「電源開発調整審議会」による調停が行われ、只見川の開発は電源開発と東北電力が主体となって行い、東京電力は尾瀬沼に水利権を持つにも拘らず「尾瀬原ダム計画」は棚上げとされた。須田貝ダム フレッシュアイペディアより)

  • 尾瀬原ダム計画

    尾瀬原ダム計画から見た東北電力東北電力

    「電力事業再編令」に伴い日発が分割、東京電力・東北電力が誕生する。尾瀬沼の水利権は東京電力が継承する。尾瀬原ダム計画 フレッシュアイペディアより)

  • ネットワーク・7

    ネットワーク・7から見た東北電力東北電力

    ネットワーク・7(ねっとわーく・せぶん)は、1995年4月から(終了時期不明)までミヤギテレビをはじめとする青森放送、テレビ岩手、秋田放送、山形放送、福島中央テレビ、テレビ新潟のNNS7局をブロックネットしていた東北電力提供の情報番組。ネットワーク・7 フレッシュアイペディアより)

  • 藤村新一

    藤村新一から見た東北電力東北電力

    1950年生まれ。仙台育英高等学校卒業後、東北電力子会社の東北計器工業へ就職。工員時代に考古資料に興味を持つようになり、1973年には「宮城県古川市馬場壇発見の文字瓦」(共著、『遮光器』7、pp.18-21、みちのく考古学研究会)において線刻文字瓦を資料紹介した。翌1974年以降は、江合川流域の石器を中心とした踏査を始め、1975年にはこの時の仲間を主力とする石器文化談話会が結成され、石器探しの名人として活動した。発見効率が驚異的に高いことから、仲間内では「ゴッドハンド(神の手)」の異名を馳せた。日本の旧石器時代史の争点であった前期・中期旧石器時代の遺跡を「発見」し、東北電力系の会社に勤務しながら1992年には民間の東北旧石器文化研究所設立に参加、1999年に会社を退職し、同研究所職員となる。同研究所は2000年8月には、特定非営利活動法人として認証(2004年1月解散)され、副理事長として活動した。後述の捏造事件発覚まで、藤村は旧石器時代の上限を十万年単位で遡らせるとされた発見・研究報告を次々とあげ、日本の前期・中期旧石器時代研究のトップ・グループの一人と見なされていた。藤村新一 フレッシュアイペディアより)

  • 安藤 あや菜

    安藤あや菜から見た東北電力東北電力

    東北電力 「ヒートポンプ 暖房&給湯フェア」 (2009年9月26日・27日)安藤あや菜 フレッシュアイペディアより)

  • 穴原発電所

    穴原発電所から見た東北電力東北電力

    穴原発電所(あなばらはつでんしょ)は、福島県福島市飯坂町湯野にある東北電力の水力発電所。穴原発電所 フレッシュアイペディアより)

  • 大内ダム

    大内ダムから見た東北電力東北電力

    阿賀野川流域においても揚水発電に適当な地点が調査されていたが、当時建設省北陸地方建設局が阿賀野川本川の治水と会津盆地への利水を目的に大川ダムの建設計画を進めていた。電源開発はこの大川ダムを利用して揚水発電を行う方針を固め、大川ダム建設事業に電気事業者として東北電力と共に参加した。そして1974年(昭和49年)より大川ダム上流部で阿賀野川に注ぐ小野川の最上流部、水源である大内沼地点に上部調整池を設けることで揚水発電を行う計画を立てた。これが大内ダムである。大内ダム フレッシュアイペディアより)

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