-
旧吉野川河口堰から見た南海地震
然し1946年(昭和21年)に南海地震が起こり旧吉野川・今切川河口地域は大規模な地盤沈下を起こし、今切川樋門は破損し防潮機能が減退した。1949年(昭和24年)には旧吉野川樋門が建設されたが根本的な塩害対策にはなり得なかった。更に高度経済成長に伴う工業地域の拡大や徳島市の人口増加は水需要の逼迫を招いた。これらの理由から治水・利水を目的とした河川施設の建設は急務となったが、吉野川水系が「水資源開発水系」に指定され「吉野川水系水資源開発基本計画」が1966年(昭和41年)に策定された。この中で旧吉野川と今切川に河口堰を建設し治水・利水を図ろうとし、水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)によって1968年(昭和43年)より計画が開始された。(旧吉野川河口堰 フレッシュアイペディアより)
-
高知駐屯地から見た南海地震
1962年の開設以来、同市岸本地区の海岸近くに駐屯していたが、近い将来に発生することが危惧される南海地震の津波を考慮し、2010年3月に同市内の高台に新庁舎を開庁した。駐屯地司令は、第50普通科連隊長が兼務(2010年3月25日までは第14施設中隊長が兼務)。2012年3月までは、岸本地区の旧駐屯地との2個営舎体制で運用(同様の運用形態は他に今津駐屯地などがあった(現在は1個営舎))していたが、徳島県阿南市に開設された徳島駐屯地への移駐に伴い、約50年の歴史に幕を下ろして閉鎖された。現在の駐屯地には、戦闘訓練のため300m射撃場及び爆破訓練場を有する「高知演習場」が隣接し、南海地震のみならず重要影響事態等の本格的な有事にも備えている。(高知駐屯地 フレッシュアイペディアより)
注目ワード
キーワード一覧