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  • 旧吉野川河口堰

    旧吉野川河口堰から見た南海地震南海地震

    然し1946年(昭和21年)に南海地震が起こり旧吉野川・今切川河口地域は大規模な地盤沈下を起こし、今切川樋門は破損し防潮機能が減退した。1949年(昭和24年)には旧吉野川樋門が建設されたが根本的な塩害対策にはなり得なかった。更に高度経済成長に伴う工業地域の拡大や徳島市の人口増加は水需要の逼迫を招いた。これらの理由から治水・利水を目的とした河川施設の建設は急務となったが、吉野川水系が「水資源開発水系」に指定され「吉野川水系水資源開発基本計画」が1966年(昭和41年)に策定された。この中で旧吉野川と今切川に河口堰を建設し治水・利水を図ろうとし、水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)によって1968年(昭和43年)より計画が開始された。旧吉野川河口堰 フレッシュアイペディアより)

  • 今村明恒

    今村明恒から見た南海地震南海地震

    1923年に亡くなった大森の後を継いで地震学講座の教授に昇進する。1925年に北但馬地震、1927年に北丹後地震が発生し、次の大地震は南海地震と考えた明恒は、これを監視するために1928年に南海地動研究所(現・東京大学地震研究所和歌山地震観測所)を私費で設立した。明恒の予想通り1944年に東南海地震、1946年に南海地震が発生した。東南海地震後には南海地震の発生を警告したものの、被害が軽減できなかったことを悔やんだと言われる。今村明恒 フレッシュアイペディアより)

  • 坂出港

    坂出港から見た南海地震南海地震

    昭和21年1946年12月の南海地震により、当時の主岸壁であった西岸壁が崩壊し、港湾の機能は停止状態になったが、約3箇年で復旧させた。坂出港 フレッシュアイペディアより)

  • 浜王子

    浜王子から見た南海大地震南海地震

    1879年(明治12年)に阿須賀神社に合祀されたが、1926年(大正15年)に村社として独立した。戦前までは松林に囲まれたゆったりとした景観を誇り、78坪(約258平方メートル)の境内地には現在の大浜(王子ヶ浜)の海浜地をも含んでいたと言う。その当時の景観は旧『新宮市誌』所収の写真で確認できるが、今日では周囲が住宅地化したことで失われた。これは、1946年(昭和21年)の南海大地震により、応急に住宅建設の要に迫られたことから、社地を含む周囲の国有地が払い下げられたことによるものである。浜王子 フレッシュアイペディアより)

  • DONET

    DONETから見た南海地震南海地震

    DONET3 - 日向灘から足摺岬沖の南海地震の想定震源域(おもに領域A)と日向灘の海底に計画中の、地震・津波観測監視システム。DONET フレッシュアイペディアより)

  • 福良港

    福良港から見た南海地震南海地震

    福良湾は鳴門海峡の東側に開けており、南海地震による紀伊水道からの津波の侵入が予想されている。現在、福良港には防潮堤や洲崎から伸びる港口防波堤が整備されているが、さらに可動式の湾口防波堤の整備などが検討されている福良港 フレッシュアイペディアより)

  • 高知駐屯地

    高知駐屯地から見た南海地震南海地震

    1962年の開設以来、同市岸本地区の海岸近くに駐屯していたが、近い将来に発生することが危惧される南海地震の津波を考慮し、2010年3月に同市内の高台に新庁舎を開庁した。駐屯地司令は、第50普通科連隊長が兼務(2010年3月25日までは第14施設中隊長が兼務)。2012年3月までは、岸本地区の旧駐屯地との2個営舎体制で運用(同様の運用形態は他に今津駐屯地などがあった(現在は1個営舎))していたが、徳島県阿南市に開設された徳島駐屯地への移駐に伴い、約50年の歴史に幕を下ろして閉鎖された。現在の駐屯地には、戦闘訓練のため300m射撃場及び爆破訓練場を有する「高知演習場」が隣接し、南海地震のみならず重要影響事態等の本格的な有事にも備えている。高知駐屯地 フレッシュアイペディアより)

  • 仁和地震

    仁和地震から見た南海地震南海地震

    近畿地方の地震動や津波は南海地震の特徴であるが、対応する東海・東南海地震と思われる記録は『扶桑略記』の安房においてこの日地震があった(仁和三年丁未七月三十日安房國地震)とするもののみであった。ただし、本来『扶桑略記』にそのような記述は無く、『大日本地震史料 増訂』の誤記であるとされる。仁和地震 フレッシュアイペディアより)

  • 康和地震

    康和地震から見た南海地震南海地震

    康和地震(こうわじしん)は、平安時代後期に発生した畿内に被害記録が残る地震である。南海地震とする説も定着していたが、疑義が唱えられている。約2年2ヵ月前には東海道沖の巨大地震と推定される永長地震があった。康和地震 フレッシュアイペディアより)

  • 永長地震

    永長地震から見た南海地震南海地震

    約2年2ヵ月後に康和地震が発生しており、本地震とペアをなす南海地震と考えられてきたが、康和地震を南海地震とするには『兼仲卿記』紙背文書の成立時期などいくつかの疑義があり、本地震が土佐の田苑の沈降を引き起こした南海地震をも含む可能性が唱えられている。永長地震 フレッシュアイペディアより)

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