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東北地方太平洋沖地震及び津波のメカニズムから見た南海地震
Mw9.0の東北地方太平洋沖地震の発生によって、プレート境界では普段はMw7-8程度のプレート境界型地震が起きているが、それらの地震では開放しきれないひずみが長年蓄積することによって、何回かに一回はひずみを一気に開放するMw9クラスの超巨大地震が発生するとの説がクローズアップされるようになった。これまでもMw7-8程度のプレート境界型地震が何回か発生するうちに、普段よりも規模が大きい地震が発生することは、チリ付近の地震やスマトラ沖での地震の履歴についての調査、日本でも相模トラフによる関東地震、南海トラフによる東海地震、東南海地震、南海地震、そして北海道東部の千島海溝で発生する地震などで研究が進められていた。Mw7-8程度の巨大地震が繰り返し発生するプレート境界では、それらの地震では開放しきれないひずみが蓄積することによって、何回かに一度Mw9クラスの超巨大地震が発生するという、巨大地震と超巨大地震が階層的に発生する現象が普遍的に見られる可能性が指摘されており、この階層的な地震発生のサイクルはスーパーサイクルと呼ばれている。つまり東北地方太平洋沖地震はスーパーサイクルにおける超巨大地震と考えられる。(東北地方太平洋沖地震及び津波のメカニズム フレッシュアイペディアより)
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日向灘地震から見た南海地震
2種類の地震を合わせると十数年から数十年に一度の割合で発生している。調査により判明している過去最大の地震は、1662年のM7.6の地震であり、日向灘の領域単独でM8以上となる巨大地震が発生した記録はない。しかし、震源域が東に隣接する南海地震などと同時発生してM8以上の連動型巨大地震となったことがあるという見方もある。例えば、東海・東南海・南海連動型地震であった1707年宝永地震は日向灘地震とも連動した可能性が指摘されている。そして、将来もそのような連動型巨大地震が発生する恐れがあり、対策を取ろうとする動きがある。特に2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)以降、そのような動きが強くなっている。(日向灘地震 フレッシュアイペディアより)
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春野百合子から見た南海地震
幼少期から母が経営する玉造東雲町自宅横にあった寄席小屋「春野館」に通っていた。後両親が離婚。また浪曲にも興味が薄れる。その後東京で薬学の専門学校に通う。母死後、父に預けられる。1946年に父が経営していた劇場「岸和田劇場」が南海地震で倒壊し多くの死者を出したことで浪曲師になる事を決意。1948年に父・2代目奈良丸に入門、稽古を奈良丸の弟子の吉田奈良千代の夫・和田峰太郎の元に通う。5ヵ月後に中座で襲名。「女殺油地獄」「樽屋おせん」などの近松門左衛門や、井原西鶴原作からの新作をものにして、「文芸浪曲」の先駆者となった。繊細で情緒豊かな世話物を得意とする。十八番は「西鶴五人女」シリーズ。(春野百合子 フレッシュアイペディアより)
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