-
南海地震から見た伊勢神宮
1361年7月26日(8月3日)(南朝:正平16年6月24日、北朝:康安元年6月24日) 正平地震(康安地震) - M - 8.5、死者多数。摂津・阿波・土佐で津波により大きな被害。摂津四天王寺の金堂が転倒し圧死者が出た。津波で摂津・阿波・土佐に被害、特に阿波の雪(由岐)湊で流失1,700戸、流死60余。東海道沖の地震の発生は不明だが、同時期に東南海地震に相当する地震が発生したという説もある。東大地震研が調査した法隆寺の記録によると、淡路島の障壁にも関わらず、大阪市天王寺区でも海岸から4km以上に渡り津波が押し寄せたという。さらには伊勢神宮の古文書でも当時の記録が残されていることがわかっている。(南海地震 フレッシュアイペディアより)
-
南海地震から見た浜名湖
地質調査によれば、明応地震《1498年9月11日(9月20日)(明応7年8月25日) (東海・東南海地震) - M 8.2 - 8.4、死者3万 - 4万人以上と推定。伊勢・駿河などで津波により大きな被害、浜名湖が海と繋がり、伊勢大湊で家屋1,000戸、溺死者5,000人。伊勢志摩で溺死者10,000人、静岡県志太郡の『林叟院記録』で溺死者26,000人など。》前後に南海地震も発生。1498年6月30日(7月9日)(明応7年6月11日)に、中国・揚子江の水面を揺るがしたとされる、日向灘地震が南海地震に相当するとの説もある。明応地震の73日前に発生し、南海地震が東海地震に先行した例であるとされる。しかし、これには史料の無理な解釈が含まれ、安政地震後に起きた豊予海峡地震も上海付近を強く揺らしており、九州付近で起きたスラブ内地震の可能性もあるという。(南海地震 フレッシュアイペディアより)
-
南海地震から見た淡路島
1361年7月26日(8月3日)(南朝:正平16年6月24日、北朝:康安元年6月24日) 正平地震(康安地震) - M - 8.5、死者多数。摂津・阿波・土佐で津波により大きな被害。摂津四天王寺の金堂が転倒し圧死者が出た。津波で摂津・阿波・土佐に被害、特に阿波の雪(由岐)湊で流失1,700戸、流死60余。東海道沖の地震の発生は不明だが、同時期に東南海地震に相当する地震が発生したという説もある。東大地震研が調査した法隆寺の記録によると、淡路島の障壁にも関わらず、大阪市天王寺区でも海岸から4km以上に渡り津波が押し寄せたという。さらには伊勢神宮の古文書でも当時の記録が残されていることがわかっている。(南海地震 フレッシュアイペディアより)
注目ワード
キーワード一覧