
白井こうから見た岡崎市
白井にとって義務教育(当時は小学校義務年限4か年であった)を終わってからの女子教育の遅れは、何としても見過ごすことはできなかった。「女子はいつ不幸な目に遭わぬとも知れない。女子の独立は裁縫による」と考えた白井は女学校創設を決断する。1906年(明治39年)3月27日、附属小学校を退職。同年4月8日、愛知県岡崎町(現・岡崎市)大字連尺59番戸に岡崎裁縫女学校(現・岡崎学園高等学校)を創立した。同年6月13日、愛知県知事より認可され、6月28日に校長となる。(白井こう フレッシュアイペディアより)