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原邦生から見た松坂屋
入社後の数年間は昇給もなく子供の粉ミルク代にも事欠いたが、1965年には1年間通い続けて三越との契約に成功し、1966年からは松坂屋銀座店でもバレンタインフェアを開始するなど、会社の業績拡大に務めた。1969年には営業部長としてロサンゼルスのショッピングセンターへの出店を手掛け、ブラウン&ヘーリーの商品と自社製品を販売した。この店舗の経営が軌道に乗った後、父の知人の紹介でニューヨークのメイシーズで2週間の就業体験をした。ここで見たオフィスコンピュータに影響を受け、帰国後に取締役となると1971年にMELCOMを導入して在庫管理に利用した。(原邦生 フレッシュアイペディアより)
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