
中川智正から見た松本サリン事件
1993年10月からは教団の武装化路線の本格化と土谷正実によるサリン合成の成功に伴い、土谷とともに化学兵器製造に従事。池田大作サリン襲撃未遂事件、滝本太郎弁護士サリン襲撃事件、松本サリン事件に関わる。松本サリン事件ではサリン生成に従事した他、実行犯に加わった。中川は土谷や遠藤誠一と共にサリンやVXといった兵器の製造管理を任されていた(土谷正実も参照)。土谷と遠藤は対抗意識から仲が悪くなっており、中川が緩衝材の役割を果たしていた。(中川智正 フレッシュアイペディアより)