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中村雀右衛門 (5代目)から見た松本幸四郎 (9代目)
女形役者としては清楚で上品な芸風で、時代物では赤姫を得意とし、世話物では町娘や女房と、さまざまな役をこなす。従兄弟の二代目中村吉右衛門や九代目松本幸四郎と一座することが多い。(中村雀右衛門 (5代目) フレッシュアイペディアより)
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市川猿翁 (2代目)から見た松本幸四郎 (9代目)
しかし猿之助はそうした逆境を見事に克服する。やがて宙乗りがない従前の演出で上演した「四ノ切」が「つまらない」と不入りになると、七代目尾上菊五郎のような権門家の宗家までもが猿之助版の「四ノ切」を上演しはじめるようになったのである。この宙乗りの演出は元々、猿之助が三代目實川延若から教わったのが最初で、その後「四ノ切」に限らず、近年では後進の歌舞伎役者も多く取り入れており、前述の七代目尾上菊五郎をはじめ、十二代目市川團十郎、九代目松本幸四郎、十八代目中村勘三郎らも宙乗りの演出を使った公演を行うようになった。(市川猿翁 (2代目) フレッシュアイペディアより)
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平城遷都1300年記念事業から見た松本幸四郎 (9代目)
2008年10月15日 東大寺奉納大歌舞伎 松本幸四郎千回上演「勧進帳」 東大寺大仏殿前(平城遷都1300年記念事業 フレッシュアイペディアより)
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中村勘三郎 (17代目)から見た松本幸四郎 (9代目)
二人の孫の勘太郎(のちの六代勘九郎)と七之助の初舞台『門出二人桃太郎』では、二人の母方の祖父、七代中村芝翫とともに爺と婆を演じたが(なお庄屋の夫婦は十三代片岡仁左衛門、中村歌右衛門、犬、雉、猿は松本幸四郎、澤村藤十郎、中村福助(のちの梅玉)、巫女は尾上梅幸であった)、息子と孫2人と祖父2人との5人の口上の席上「孫たちは私をじじんちゃまと呼びますが、成駒屋さん(=芝翫)のことをパパと呼びます。それが気に入りません。わたしとあんた爺同士なのに」と発言し客席を笑わせた。(中村勘三郎 (17代目) フレッシュアイペディアより)