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林家たい平から見た夢をかなえてドラえもん
出囃子は『ぎっちょ』(「ドラ落語」の際は『夢をかなえてドラえもん』(以前は『ドラえもんのうた』だった))。定紋は『花菱』(「ドラ落語」の際は『鈴』)。芸名にちなんで手ぬぐいや色紙・著書などに、鯛の絵柄をよく用いる。(林家たい平 フレッシュアイペディアより)
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林家たい平から見たターボ
4代目司会者の5代目圓楽が療養のため休演した際、大喜利メンバーが交代で代理司会を担当していた(2005年11月27日放送分以降は桂歌丸に固定)が、大喜利メンバーの中でたい平だけが司会を務めなかった。これはたい平本人によれば、「自分は、あくまで師匠・こん平の代理として出演していており、師匠を差し置いて司会を務めることは出来ない」という理由によるものであった。レギュラーメンバー昇格後の2008年6月29日放送分は司会の歌丸が腰の手術で一時休演した際、大喜利の代理司会を務めた(この日の冒頭は、木久扇と楽太郎〈現:6代目圓楽〉が担当)。「ターボが回転しすぎて、収録後に鼻血が出た」という(笑点オフィシャル本より)。後に2015年2月1日、8月16日放送分も代理司会を担当した。(林家たい平 フレッシュアイペディアより)
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林家たい平から見た座布団
演芸コーナーで若手大喜利が行われた時代から出演していたメンバーでもある。1998年7月に山田隆夫が4週間休んだ際、大喜利下克上(若手大喜利)にてMVPに選ばれ、1週のみ(第1623回の7月12日)山田の代わりに座布団運びを務め、師匠・林家こん平と師弟での共演を果たした。1999年の正月特番で行われた師弟大喜利でも、師弟での共演を果たしている。『笑点Jr.』にも『BS笑点』時代から出演している。放送開始当初は大喜利メンバーとして出演し、2003年11月9日の放送で初めて出演権を剥奪されるが、それ以降は出演権を剥奪されることはなく、復帰した2003年12月7日から最終回まで出演し続けた。(林家たい平 フレッシュアイペディアより)