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柏原竜二から見た新春スポーツスペシャル箱根駅伝
2014年1月2日に日本テレビで放送された第90回箱根駅伝中継において、東洋大学の設楽悠太が力走しているところを放送している最中、解説者が「柏原竜二亡き後の…」とあたかも柏原を故人のように述べた。それを受けて、柏原は「テレビ実況では死んでいることになっているらしいアカウントはこちらです」 とツィートし、リツィート7000回以上、フォロワー1万人を超えたという。なお当人はこの日文化放送など全国31放送局で行われたラジオの中継で解説 を担当していた。(柏原竜二 フレッシュアイペディアより)
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柏原竜二から見た天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会
貧血体質が原因で競技途中に失速することが多かったが薬の服用と食生活の改善によりこれを克服しており、高校3年生の夏以降競技成績が躍進し始めた。7月の福島県総体5000mで2位、東北総体5000mでは3位に入賞。12月1日の日体大長距離記録会5000mでは、かつて今井正人が記録した福島県高校記録の14分07秒44を塗り替える14分01秒50をマークした。2008年の全国都道府県対抗男子駅伝競走大会(ひろしま男子駅伝)では1区区間賞を獲得した。(柏原竜二 フレッシュアイペディアより)
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柏原竜二から見た第一工業大学
10月、第21回出雲駅伝でも前年に続いて1区を走り、2007年に上野裕一郎が刻んだ区間記録タイのタイムで区間2位の成績を残した。11月1日の第41回全日本大学駅伝では1区(14.6km)を走り、出雲に続いてキラグ・ジュグナ(第一工業大学)に次ぐ区間2位となった。11月23日、第21回国際千葉駅伝には日本学生選抜として出場、ここでも1区(5.0km)にエントリー。2005年世界陸上選手権5000m銅メダリストクレイグ・モットラム(オーストラリア代表)や上野らと走り、スタートから果敢に飛ばして区間5位。日本学生選抜のスターターとして結果を残し、準優勝の一員となった。(柏原竜二 フレッシュアイペディアより)
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柏原竜二から見た第90回東京箱根間往復大学駅伝競走
第90回箱根駅伝後の2014年2月7日をもって従来の5区及び6区の通過点となっていた函嶺洞門が通行禁止となり、第91回大会(2015年)から函嶺洞門バイパスへとコースが変更となり、距離も20メートル延長された。これに伴い、柏原の記録を含む第90回大会以前の5区・6区の区間記録と往路・復路・総合記録は参考記録となった。なお、2015年・第91回大会の新5区では青山学院大学の神野大地が、1時間16分15秒の驚異的なタイムを達成して総合優勝にも貢献し、のちに今井・柏原に続いて「三代目・山の神」とも称された。(柏原竜二 フレッシュアイペディアより)
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柏原竜二から見た京都シティハーフマラソン
2009年3月、最後の開催となった京都シティハーフマラソンでは男子招待選手としてハーフマラソンに初出走、男子の部で優勝を果たした。(柏原竜二 フレッシュアイペディアより)