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柏木陽介から見た広瀬治
2010年1月9日、埼玉スタジアムで浦和への加入記者会見が開かれた。背番号はかつて浦和に大きな貢献をもたらした広瀬治、小野伸二、アレックスといった選手達が付けていた8に決定した。シーズン開幕直後は不慣れなサイドでの起用、本職のトップ下に入っても周りの選手との連携や広島と浦和のサッカースタイルの違いに苦しみ、なかなか本領を発揮することが出来ずにいた。しかし、8月末に阿部勇樹が退団した影響もあって手薄になったボランチで起用されるようになってからは得点に絡む場面が増えるなど徐々に本領を発揮出来るようになっていった。浦和移籍後初得点は5月5日のJ1第10節名古屋グランパス戦の後半3分に記録した。最終的にこのシーズンは公式戦全試合出場したエジミウソンに次ぐ、公式戦43試合に出場した。(柏木陽介 フレッシュアイペディアより)
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柏木陽介から見たウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルヴァ
2008年には背番号が27から10に変更された。なお、広島の背番号10は代々高木琢也、久保竜彦、ウェズレイらストライカーの選手が背負っており、中盤の選手が10を背負うのは柏木が初であった。北京五輪代表候補にも名前が挙がっていたが、序盤の怪我による不振から北京五輪本大会のメンバーには選ばれなかった。(柏木陽介 フレッシュアイペディアより)
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柏木陽介から見たサンフレッチェ広島F.C
兵庫県神戸市生まれ、揖保郡御津町育ち。小中学校の同級生には木下真吾がいた。中学3年時、ヴィッセル神戸ユースに進もうとしていたが、サンフレッチェ広島からスカウトされ、ユース寮などの練習環境に惹かれ、テストを経て2003年広島ユースに加入。その当時は体がかなり細かったこともあり、関西圏チームのどこからも具体的なスカウトはなかった。(柏木陽介 フレッシュアイペディアより)
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柏木陽介から見たAFCアジアチャンピオンズリーグ
2012年、広島時代の恩師でもあるミハイロ・ペトロヴィッチ氏が新監督に就任し、柏木自身はかつて広島時代もプレーしたシャドーのポジションでプレー。攻撃の中心として、以前の輝きを感じさせるプレーを随所に披露した。チームは最終節の名古屋戦を柏木の得点もあって2-0で勝利。この結果シーズン3位となり、AFCアジアチャンピオンズリーグの出場権を獲得した。(柏木陽介 フレッシュアイペディアより)