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エルディス・フェルナンド・ダマショから見た柳沢敦
2008年、ガンバ大阪から清水に完全移籍したが、チームの不振と共に長谷川健太監督の構想から外れ、シーズン途中の同年6月に京都サンガF.C.へ期限付き移籍する。京都では、特に柳沢敦と絶妙なコンビネーションを見せるなど短期間ながら活躍し、10月1日に負傷で離脱するまで残留に貢献した。しかし、ドリブルに拘ってパスを出すタイミングが遅くなる癖は京都でも治せず、2008年をもって、レンタル先の京都、レンタル元の清水両者から戦力外とされ、京都を退団してブラジルへ帰国した。(エルディス・フェルナンド・ダマショ フレッシュアイペディアより)
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鈴木隆行から見た柳沢敦
2002年、トルシエからは献身的なプレーが認められ、FIFAワールドカップのメンバーに選出。スタメン濃厚だったにも関わらず、エコノミー症候群による戦線離脱を余儀なくされた高原直泰、盲腸の手術明けで本調子でなかったトルシエジャパンのエースFW・西澤明訓らに代わり、鹿島のチームメイトである柳沢敦と共にツートップを形成。初戦のベルギー戦で本大会における日本代表の初得点を挙げる。この得点は日本がW杯で初めての勝ち点1を得る貴重な同点ゴールとなった。W杯終了後、その活躍が対戦国のベルギーで認められ、ベルギー1部リーグの名門・ヘンクに移籍する。しかし、センターフォワードではなく右サイドのウィング的ポジションで起用されることがほとんどであり、リーグ戦やUEFAチャンピオンズリーグでアシストを記録するなどしたものの、FWのレギュラーを奪えず無得点に終わる。(鈴木隆行 フレッシュアイペディアより)