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布施美樹から見た栃乃洋泰一
高校時代は北海道大会2年連続個人優勝、3年次にインターハイにてベスト8入りを果たす。全国大会では対馬竜太(元幕内岩木山竜太、現関ノ戸親方)や坂本正博(時津海正博、現時津風親方)、熊谷涼至(元関取海鵬涼至、元谷川親方)などと対戦経験があり、対馬選手には勝利している。同じくこの年に『NHKのど自慢』に出場し合格している。大学時代は岡部光国(元十両 玉ノ国)・新(元幕内、玉乃島)兄弟や斉藤直飛人(元幕内、追風海)らと対戦している。個人での実績はないが、3年次からレギュラーとして全国大会へ出場。4年次に主将を務めた。一学年上の先輩には平成24年1月場所を持って引退し竹縄親方となった元関脇の栃乃洋泰一(後藤泰一)がいた。(布施美樹 フレッシュアイペディアより)
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年寄株問題から見た栃乃洋泰一
ところが今度は期限が1年になったことで、逆に期間満了が目前に迫った準年寄が年寄名跡を滑り込みで借りて年寄を襲名する事例が目立つようになった。このため協会は準年寄制度の意義はもはや消失したとして、2006年12月21日に準年寄制度の廃止を決定した。ただし移行措置として、この時点で準年寄だった4名(闘牙・隆の鶴・金開山・春ノ山)については、それぞれの在籍期間が満了するまで準年寄としての地位を引き続き認めた。最後の準年寄となった春ノ山は、期間満了が5日後に迫った2007年11月25日、栃乃洋が所有する年寄名跡を借りて年寄・竹縄を襲名した。(年寄株問題 フレッシュアイペディアより)
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日馬富士公平から見た栃乃洋泰一
初めての大関獲りの場所となった2008年1月場所、10日目に横綱白鵬を上手投げで破り対白鵬3連勝を果たすも、初日にベテラン栃乃洋の突き落としに屈するなど、この時点で既に6勝4敗であった。翌11日目、時天空に敗れて5敗目を喫してからは、12日目の稀勢の里戦、13日目の雅山戦と2日続けて立合いの変化で勝ち、2桁勝利に望みをつないだものの、14日目の朝赤龍戦では逆に立合い変化からの足取りで敗れ6敗目を喫した。9勝6敗に終わり大関獲りは振り出しに戻ってしまったが、この場所で唯一白鵬を破ったことが評価され「千秋楽の結果に関係なく白鵬が優勝すれば受賞」という他力条件を満たす形で3場所連続で殊勲賞を獲得した。(日馬富士公平 フレッシュアイペディアより)