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宇都宮仕置から見た下野国
天正18年(1590年)7月13日、関東に台頭していた相模国の後北条氏を小田原城にて降伏させた豊臣秀吉は、同17日に鎌倉に入り鶴岡八幡宮を参詣する。鎌倉への滞在は2日間のみで、同19日には鎌倉を出立、7日後の7月26日に下野国宇都宮城に入城した。宇都宮での秀吉の滞在期間は合計11日間に達し、会津への巡察行軍を行って再び宇都宮に入城するまでの8月4日から同14日まで10日間を含めると、その期間は20日間にも及んだ。秀吉が宇都宮での滞在期間が長期に亘った理由として、公的には折からの長雨のためとされているが、26日の秀吉の宇都宮着陣に先立ち、既に常陸の佐竹義宣、南部の南部信直が宇都宮入りしており、また秀吉が宇都宮に着いた翌々28日には伊達政宗が奥州への迎えの為として宇都宮入りするなど、関東、奥羽の大名達が宇都宮に出頭している。また、7月13日の時点で秀吉傘下の五奉行のうち増田長盛配下が先に宇都宮に着いており、宇都宮城を接収していたとも云われている。当時、宇都宮城は宇都宮氏の勢力下にあったが、宇都宮氏は居城を多気山城に移していたため政治的摩擦は殆ど無かったと云われている。ほか、宇都宮には秀吉着城前までに金森長近や京極高次らの豊臣家臣も駐留していた。(宇都宮仕置 フレッシュアイペディアより)
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