
平良兼から見た下野国
甥であり聟でもある将門とはかねてから不仲であり、兄の国香が、将門と舅の源護の息子らの抗争に巻き込まれ死亡した際には不介入であったものの、将門にとっては伯父にあたる良正をも打ち破るに至って武力介入し、将門との対立の中心に立つようになる。父国香を死に追い込んだ将門との和平路線を取る甥の貞盛を批判・説得して味方に引き入れ、下野を目指し出陣した。承平6年(936年)6月、良正・貞盛と共に下野国境にて将門と合戦になり数では圧倒的に勝るも敗れ、下野国府に退却。国府は包囲されるも、将門は包囲の一角を解きあえて良兼を逃した。(平良兼 フレッシュアイペディアより)