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  • 栃煌山雄一郎

    栃煌山雄一郎から見た豊響隆太

    新十両となった2006年9月場所では9勝6敗と勝ち越し、西十両2枚目の位置まで大きく番付を上げた翌2007年1月場所では10勝5敗の好成績を挙げ、霜鳥と豊響との優勝決定戦に進出した。優勝決定戦は豊響が制して十両優勝はならなかったものの、翌3月場所において新入幕を果たした。初土俵から13場所での新入幕は旭富士・貴花田・武蔵丸・豊真将に続き史上9位タイのスピード記録となった。栃煌山雄一郎 フレッシュアイペディアより)

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    栃煌山雄一郎から見た妙義龍泰成

    小結で迎えた2014年1月場所では11勝4敗の好成績を収め、3月場所では2場所ぶり関脇に復帰したが豪栄道と琴欧洲の両関脇も勝ち越していたため、2011年9月場所以来の3関脇となった。5月場所は横綱・鶴竜と大関・琴奨菊を破り、10勝5敗と新関脇だった2010年9月場所以来となる関脇での二桁勝利を挙げた。7月場所は場所前の稽古で痛めた左肩に苦しめられ7日目まで2勝5敗と振るわず、相撲協会に「反復性左肩関節亜脱臼で1カ月間の休養を要する」との診断書を提出して中日以降を休場した。東前頭8枚目まで後退した9月場所は怪我の影響でぶっつけ本番で挑んだものの、千秋楽までの6連勝もあって11勝4敗と復調ぶりを見せた。次の11月場所は東前頭筆頭まで番付を回復し、この場所では6日目まで1勝5敗と足踏みしたものの、そこから追い上げて千秋楽に勝ち越しを果たした。栃煌山は場所を終えて「(今年は)けがのない場所がなかった。壊れない体にしたい」と2014年の総括と今後に対する意気込みを語っていた。翌2015年1月場所は小結に復帰(西小結)。その場所は千秋楽に負け越しが決定したが、大関・琴奨菊と横綱・鶴竜を破った。東前頭1枚目で迎えた3月場所で10勝を挙げ、一場所で三役に返り咲く。東小結として迎えた5月場所は8勝7敗と勝ち越し、7月場所は東関脇として10勝を挙げ、殊勲賞を獲得。その後も関脇の地位を守っていたが、2016年1月場所で7勝8敗と負け越し、平幕落ちの危機となるも他の力士の成績の関係上小結として3月場所を迎えた。しかし3月場所も大関以上には全敗を喫するなど調子が上がらず4勝に留まった。2016年7月場所では前頭筆頭で土俵に上がり、3日目に横綱・鶴竜に勝利し金星を記録。優勝争いをしていた綱取り稀勢の里を破るなど3大関を倒し8勝7敗で三役復帰への勝ち越しとした。12月8日に行われた冬巡業大牟田場所では稀勢の里と三番稽古をして2勝8敗と圧倒される様子が報じられた。2017年1月場所は足の故障の影響もあり、3勝12敗と本来の姿からは程遠かった。3月場所で大阪入りする前は治療に専念。中国針を5cm以上も体内に刺し「声が出るほど痛かったけど、やったあとは楽になった」としっかり戦える体になって場所を迎えた。およそ6年ぶりの二桁番付となる東前頭10枚目まで番付を落とした3月場所は、本来の調子ではないもの下位力士との地力の違いを見せつけ9日目にこの場所の平幕で第一号となる勝ち越しを果たした。11日目の時点で10勝1敗と好調だったが、12日目に妙義龍に敗れて優勝争いから後退すると、残りも全て敗れて結局10勝5敗だった。因みにこの場所ではまわしを締める位置も、3cmほど高くした。「先場所までは腹がまわしの上に乗って、背中が反って腰に負担があった」という。5月場所は9日目の稀勢の里戦で金星を獲得。「(稀勢の里は)けがはしていますが、本当に強い。そういう相手に力の限りを出して勝ったのは良かったし、満足」と金星獲得についての感想を取組後に述べている。稀勢の里戦終了時点で5勝4敗であったがこの取組以外では三役以上には勝てず、終盤失速して6勝9敗の負け越し。7月場所はその辺りの地位に上がってくる星の力士が少なかったため、幸運にも1枚半下降の西前頭5枚目の地位で踏みとどまった。その7月場所は14日目に白鵬が13勝目を挙げて3敗であった自身の優勝の可能性が無くなるまで優勝争いに加わり、最終的に12勝3敗の好成績。技能賞候補に名前が挙げられたが、受賞はならなかった。8月20日の大相撲秋巡業旭川場所では高安と三番稽古を13番行い、7勝6敗と勝ち越し。1年ぶりの三役復帰の可能性が高かった状況で「そんなに時間もない。しっかりやらなければ」と栃煌山は話した。8月27日、6月19日に滋賀県大津市出身の会社員の女性と婚姻届を提出したことが分かった。9月場所は1年ぶりの三役となる西小結の地位で迎えた。場所2日目の11日に長女が誕生したが、この日を白星で飾ることはできなかった。初日からの4連敗が響く形となり、6勝9敗の負け越しに終わった。。11月場所は西前頭2枚目の地位で迎えた。初日からの上位陣との取組に1つも勝てず、中日負け越しを喫した。9日目の荒鷲戦に勝って初日を出し、4勝11敗で場所を終えた。2018年1月場所は序盤から白星を先行させたものの、11日目の阿炎戦で左肩を負傷。「左大胸筋肉離れで全治1カ月」と診断され、翌12日目より休場した。場所成績は6勝6敗3休。翌3月場所は1年ぶりに幕内の二けたの番付となったが、先場所の怪我の影響から場所前に殆ど稽古が出来ず、関取衆との稽古は場所当日にようやくできるという状態であったことが伝えられた。序盤5日間は不戦勝もあって白星を先行させたものの、調整不足は顕著であり6日目から失速。結局5勝10敗と二けたの負け越しとなった。幕内の二けた番付で負け越すのは自身初めてとなる。栃煌山雄一郎 フレッシュアイペディアより)

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    栃煌山雄一郎から見た武蔵丸光洋

    新十両となった2006年9月場所では9勝6敗と勝ち越し、西十両2枚目の位置まで大きく番付を上げた翌2007年1月場所では10勝5敗の好成績を挙げ、霜鳥と豊響との優勝決定戦に進出した。優勝決定戦は豊響が制して十両優勝はならなかったものの、翌3月場所において新入幕を果たした。初土俵から13場所での新入幕は旭富士・貴花田・武蔵丸・豊真将に続き史上9位タイのスピード記録となった。栃煌山雄一郎 フレッシュアイペディアより)

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    栃煌山雄一郎から見た土佐ノ海敏生

    同郷の先輩に土佐ノ海がいる。栃煌山は中学時代に、帰省していた土佐ノ海に稽古を付けてもらったことがある。栃煌山が新入幕を果たした2007年3月場所では、同じ前頭14枚目で栃煌山(東)と土佐ノ海(西)が並んだ。栃煌山雄一郎 フレッシュアイペディアより)

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    栃煌山雄一郎から見た朝青龍明徳

    大学進学も検討していたが、高校卒業直前には2005年1月場所に澤井と同時に初土俵を踏む。入門当初はおっつけや摺り足に課題があり、稽古で改善を重ねていった。そうして初土俵から勝ち越しを続け、同年11月場所では7戦全勝で三段目優勝を果たし、翌2006年1月場所に幕下へ昇進し、西幕下3枚目の位置まで番付を上げた同年5月場所では5勝2敗という好成績を挙げたものの、幕下に陥落する力士が少なかったために場所後の十両昇進はならなかった。翌7月場所でも東幕下筆頭の位置で6勝1敗という好成績を挙げて、初土俵から1回も負け越すことなく、翌9月場所において新十両へ昇進した。初土俵から所要10場所での十両昇進は貴花田・朝青龍・露鵬・時天空と並ぶ史上9位タイのスピード記録となった。また、十両昇進と同時に四股名を本名の「影山」から「栃煌山」へと改めた。「栃煌山」という四股名は、春日野親方と母親が相談して決めた。春日野部屋の多くの力士がつける「栃」、そこから煌めいて欲しいとの思いを込めて、「煌」そして本名の影山から「山」をとり、「栃煌山」となった。実は栃煌山自身は、記者会見当日まで四股名を知らされておらず、「記者の人たちに“四股名、どう思いますか?”“どういう由来ですか?”と言われたのですが、その時に初めて聞いたので返答に困りました」という。栃煌山雄一郎 フレッシュアイペディアより)

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    栃煌山雄一郎から見た琴欧洲勝紀

    2010年5月場所で6場所ぶりに西小結へ復帰し、その5月場所では7勝8敗と負け越したものの、東前頭筆頭の位置で迎えた翌7月場所では9勝6敗と勝ち越し、翌9月場所で西関脇へ昇進した。その9月場所では魁皇・日馬富士・琴欧洲という3大関を破る活躍で、11勝4敗と自身初となる三役での二桁勝利を挙げて2回目の技能賞を獲得した。東関脇となり、大関昇進への足固めが注目された翌11月場所では5日目までは4勝1敗と順調な成績だったものの、6日目から7連敗して結果的に7勝8敗と負け越してしまい、東小結となった翌2011年1月場所でも6勝9敗と負け越して三役から陥落した。栃煌山雄一郎 フレッシュアイペディアより)

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    栃煌山雄一郎から見た豊ノ島大樹

    2012年5月場所では、東前頭4枚目の位置で9日目に早々に勝ち越しを決め、10日目に旭天鵬と11日目に豊ノ島に敗れたものの、12日目には単独で優勝争いの先頭を走る大関・稀勢の里を破り、14日目には新大関の鶴竜を破る活躍を見せ、千秋楽まで優勝争いに絡んだ。千秋楽では対戦相手の琴欧洲が休場したために不戦勝で、同じ3敗で並ぶ稀勢の里と旭天鵬のそれぞれの本割の勝敗を待つ形となり、その結果、千秋楽に勝利した旭天鵬との12勝3敗での史上初の平幕同士の優勝決定戦となった。優勝決定戦では旭天鵬に敗れて優勝はならなかったが、2回目の敢闘賞を受賞。2010年11月場所以来となる関脇へ復帰した翌7月場所では4勝11敗という大敗に終わったものの、翌9月場所では10日目に白鵬を破り自身初となる金星を獲得し、9勝6敗と勝ち越しを決めて初の殊勲賞を受賞。三役に復帰した2013年1月場所では3大関(鶴竜・稀勢の里・琴奨菊)を破るなど8勝7敗と勝ち越し、新関脇だった2010年9月場所以来となる三役での勝ち越しを果たすと翌3月場所は4大関(琴欧洲・琴奨菊・稀勢の里・鶴竜)を総なめにする活躍で10勝5敗と2010年9月場所以来の三役での二桁勝利を挙げた。栃煌山はこの年に、年6場所中5場所で三役を務めるなど安定感を増した一年となった。栃煌山雄一郎 フレッシュアイペディアより)

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    栃煌山雄一郎から見た安美錦竜児

    2011年1月場所後に定年退職した清見潟親方(元前頭・大竜川)に代わり年寄名跡・清見潟を取得した。同年11月場所は4日目の安美錦戦でくるぶし付近を痛め、10日目の若荒雄戦で悪化させてしまい、11日目から右足関節捻挫(外側靭帯損傷)のために休場した。栃煌山雄一郎 フレッシュアイペディアより)

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    栃煌山雄一郎から見た霜鳳典雄

    新十両となった2006年9月場所では9勝6敗と勝ち越し、西十両2枚目の位置まで大きく番付を上げた翌2007年1月場所では10勝5敗の好成績を挙げ、霜鳥と豊響との優勝決定戦に進出した。優勝決定戦は豊響が制して十両優勝はならなかったものの、翌3月場所において新入幕を果たした。初土俵から13場所での新入幕は旭富士・貴花田・武蔵丸・豊真将に続き史上9位タイのスピード記録となった。栃煌山雄一郎 フレッシュアイペディアより)

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    栃煌山雄一郎から見た露鵬幸生

    大学進学も検討していたが、高校卒業直前には2005年1月場所に澤井と同時に初土俵を踏む。入門当初はおっつけや摺り足に課題があり、稽古で改善を重ねていった。そうして初土俵から勝ち越しを続け、同年11月場所では7戦全勝で三段目優勝を果たし、翌2006年1月場所に幕下へ昇進し、西幕下3枚目の位置まで番付を上げた同年5月場所では5勝2敗という好成績を挙げたものの、幕下に陥落する力士が少なかったために場所後の十両昇進はならなかった。翌7月場所でも東幕下筆頭の位置で6勝1敗という好成績を挙げて、初土俵から1回も負け越すことなく、翌9月場所において新十両へ昇進した。初土俵から所要10場所での十両昇進は貴花田・朝青龍・露鵬・時天空と並ぶ史上9位タイのスピード記録となった。また、十両昇進と同時に四股名を本名の「影山」から「栃煌山」へと改めた。「栃煌山」という四股名は、春日野親方と母親が相談して決めた。春日野部屋の多くの力士がつける「栃」、そこから煌めいて欲しいとの思いを込めて、「煌」そして本名の影山から「山」をとり、「栃煌山」となった。実は栃煌山自身は、記者会見当日まで四股名を知らされておらず、「記者の人たちに“四股名、どう思いますか?”“どういう由来ですか?”と言われたのですが、その時に初めて聞いたので返答に困りました」という。栃煌山雄一郎 フレッシュアイペディアより)

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