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サクラから見た新渡戸稲造
潔よさを人の模範と見て、江戸時代以降しばしば武士道のたとえにされてきた。ただし、そのようにすぐに花が散ってしまう様は、家が長続きしないという想像を抱かせたため、意外と桜を家紋とした武家は少ない。明治時代に新渡戸稲造が著した『武士道』では「武士道(シヴァリー)とは日本の象徴たる桜の花のようなもの」と冒頭に記している。武士道を美徳とした旧日本軍では、潔く散る桜が自己犠牲のシンボルとして多用された(特攻機桜花など)。たとえば「花(華)と散る」という言葉は戦死や殉職の暗喩である。歩兵の本領、あゝ紅の血は燃ゆる、同期の桜など、歌詞にそうした表現を反映した軍歌も数多く作曲され、戦中非常に良く歌われた。(サクラ フレッシュアイペディアより)
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