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梶山陽平から見た2004年のJリーグカップ
2004年より正式にFC東京のトップチームに昇格。一定して試合に出場するようになり、主にトップ下でプレー。公式戦初得点はナビスコカップ予選リーグ第2節鹿島戦。中盤から走り込みミドルシュートを突き刺した。リーグ戦初得点は同年8月の東京ダービーで、こちらもミドルシュートによる得点だった。2ndステージ第14節市原戦では、右足でシュートを空振りして相手をかわし、直後に左足で得点を決めるなど活躍を印象付け、この年のJリーグ優秀新人賞を受賞した。(梶山陽平 フレッシュアイペディアより)
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梶山陽平から見た2003年のJリーグカップ
U-18ではU-18所属の頃から第2種登録選手としてトップチームに帯同し、2003年3月8日(当時高校2年生)のナビスコカップ予選リーグ・横浜FM戦(横浜国際)にて後半30分から投入され公式戦初出場。3年生になった同年4月29日の神戸戦にてJ1デビューも果たした。当時から、東京都選抜のチームメートである小椋祥平が「預けておけばボールを取られるようなことはない」と話すなど突出したボールキープ力を持っていた。(梶山陽平 フレッシュアイペディアより)
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梶山陽平から見たサッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)
2012年はシーズン前の1月にドイツブンデスリーガ・フォルトゥナ・デュッセルドルフの練習に参加。この年から監督に就いたランコ・ポポヴィッチからは「誰も持っていない能力を持っている選手」と評されクラブの主将に就任。同年より中盤にMF長谷川アーリアジャスールが加わったこともあって、トップ下で固定的に起用された。(梶山陽平 フレッシュアイペディアより)
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梶山陽平から見たワールドサッカーダイジェスト
同年8月には、スペインで行われたデポルティーボ・ラ・コルーニャとの親善試合に出場し、決勝点となるミドルシュートを叩き込む。その試合を観戦した現地ジャーナリストのヘスス・スアレスはサッカー雑誌のコラムで梶山を「ミカエル・ラウドルップの様だ」と絶賛。「今すぐリーガ・エスパニョーラで通用する選手」と断言した。(梶山陽平 フレッシュアイペディアより)