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  • 棚橋 弘至(提携)

    棚橋弘至から見た真壁刀義

    3度目の入門テストでようやく合格し、1999年、大学卒業後すぐに新日本プロレスに入門。入門後しばらく武藤敬司の付き人を務めた。同年10月10日、真壁伸也(現:真壁刀義)戦でデビュー。棚橋弘至 フレッシュアイペディアより)

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    棚橋弘至から見たマシュー・ブルーム

    2006年5月13日に行われた第1回WRESTLE LANDでは、黒のショートタイツで天性のナルシストぶりとチャラ男ぶりを発揮。いつしかリングの中心で決め台詞である「愛してま〜す」と叫ぶようになり、特異なキャラを確立し今に至っている。7月17日、札幌でIWGPヘビー級王者ブロック・レスナーとのタイトルマッチを行う予定だったが、契約上のトラブルにより来日不可能となった。それに伴いレスナーから剥奪された王座を競うトーナメントでジャイアント・バーナードに勝利し、優勝。第45代IWGPヘビー級王者となり悲願の初戴冠(学生プロレス出身者としては初)を果たした。棚橋弘至 フレッシュアイペディアより)

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    棚橋弘至から見た中西学

    2009年1月4日、レッスルキングダムIIIのメインイベントで武藤を下し、長らく流出していたIWGP王座を奪還。第50代王者となり武藤越えを果たした。その後、中邑、カート・アングル、後藤洋央紀と対戦し3度の防衛に成功。4度目の防衛戦で対峙した中西学に敗れ一時は王座から陥落するも、6月20日のリターンマッチを制して再び返り咲く。7月にはプロレスリング・ノアの杉浦貴を相手に防衛成功するが、試合を観戦していたTAJIRIが試合後に乱入。グリーンミストを浴びられたことから遺恨が生まれる。8月13日、G1公式戦でTAJIRIと対戦するも最後はグリーンミストからのバズソーキックで轟沈。それでも、決勝トーナメント進出に食らいつき準決勝で中邑と対戦するも敗北を喫する。さらに試合中に中邑が放ったハイキックが原因で欠場。IWGPヘビー級王座も返上した。棚橋弘至 フレッシュアイペディアより)

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    棚橋弘至から見た小島聡

    8月のG1 CLIMAXでは、決勝戦まで勝ちあがるも小島聡に破れ準優勝。G1 TAG LEAGUEではTAJIRIとタッグを組み出場するが、予選落ちに終わる。その後、G1を制しIWGP王座に就いた小島に対して挑戦をアピール。12月11日に同じく挑戦を表明してきた後藤洋央紀とシングルマッチで激突。ハイフライフローで後藤を制し、熱望していたIWGP戦線へ一歩近づき、翌日行われた興行の全試合終了後、改めて小島に挑戦を表明した。棚橋弘至 フレッシュアイペディアより)

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    棚橋弘至から見た杉浦貴

    2009年1月4日、レッスルキングダムIIIのメインイベントで武藤を下し、長らく流出していたIWGP王座を奪還。第50代王者となり武藤越えを果たした。その後、中邑、カート・アングル、後藤洋央紀と対戦し3度の防衛に成功。4度目の防衛戦で対峙した中西学に敗れ一時は王座から陥落するも、6月20日のリターンマッチを制して再び返り咲く。7月にはプロレスリング・ノアの杉浦貴を相手に防衛成功するが、試合を観戦していたTAJIRIが試合後に乱入。グリーンミストを浴びられたことから遺恨が生まれる。8月13日、G1公式戦でTAJIRIと対戦するも最後はグリーンミストからのバズソーキックで轟沈。それでも、決勝トーナメント進出に食らいつき準決勝で中邑と対戦するも敗北を喫する。さらに試合中に中邑が放ったハイキックが原因で欠場。IWGPヘビー級王座も返上した。棚橋弘至 フレッシュアイペディアより)

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    棚橋弘至から見た吉江豊

    大会公式戦消化中の11月28日、別れ話のもつれから交際相手であった当時テレビ番組ADの女性に刃物で背後から背中を刺されて重傷を負う。棚橋は負傷したまま原動機付二輪車に乗り、最寄りの病院に駆け込み緊急治療を受けて一命を取り留めたものの傷は深く、人体の総血液量(体重のおよそ 1/13(約8%))の約3分の1にあたる1.7リットルの血液を失い、一時は意識不明に陥ったほどであった(なお、その女性とは示談が成立して棚橋が女性を宥恕していることなどが認められ、女性は執行猶予付きの判決となった)。刺傷事件からの復帰後の2003年4月23日に自ら提唱したU-30王座(後にU-30無差別級王座に改称)を、6月13日に吉江豊とIWGPタッグ王座を、11月30日に永田裕志とGHCタッグ王座を続けざまに獲得し、12月14日にIWGPタッグ王座から転落するまでの約半月間、三冠王として君臨した。棚橋弘至 フレッシュアイペディアより)

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    棚橋弘至から見た川田利明川田 利明

    3月1日、全日本プロレスに参戦し元付き人だった武藤敬司とタッグを結成。川田利明、太陽ケア組に勝利。メインイベントの三冠ヘビー級選手権試合終了後チャンピオン・カーニバルに参戦を表明。新日本では2度目のNJCを制覇し、中邑の保持するIWGP王座に挑戦するも、奪還には至らなかった。棚橋弘至 フレッシュアイペディアより)

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    棚橋弘至から見た名城信男

    左のボディブロー。名城信男との合同トレーニングを経て使用。主に相手の打撃攻撃に合わせてカウンターで放つ。棚橋弘至 フレッシュアイペディアより)

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    棚橋弘至から見たユリオカ超特Qユリオカ超特Q

    岐阜県立大垣西高等学校では野球を経験。1995年に卒業後、一般入試で立命館大学法学部に入学。弁護士の角田龍平とは同級生であった。大学時代は学生プロレスサークルであるプロレス同好会に在籍する一方、部員不足に悩むレスリング部にも参加。当時の現場監督の長州力が学生プロレス嫌いを公言していたことから、棚橋自身は従来学生プロレス出身であることを認めてこなかったが、2006年4月に東京スポーツ紙上でレイザーラモンHGと対談した際、自らが学生プロレス出身であることを認めた(サークルの先輩にユリオカ超特Q・レイザーラモンRGがいる)。学生プロレス時代のリングネームは、メイ牛山、ハメ浩を経て、ターナー・ザ・インサート。棚橋弘至 フレッシュアイペディアより)

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    棚橋弘至から見た丸藤正道

    2月12日、凱旋帰国して間もないオカダ・カズチカと対戦するも、オカダのレインメーカーで沈み防衛に失敗。長らく保持していたIWGP王座を手放したが、6月16日にリマッチ権を行使し再びオカダと対峙。最後はハイフライフローで勝利し第58代王者に就いた。尚、同王座6回目の戴冠は藤波辰爾と並ぶタイ記録となる。7月1日、全日本プロレスとの創立40周年記念大会「サマーナイトフィーバー in 両国 WE ARE PRO-WRESTLING LOVE!」のトリプルメインイベントで大トリを飾り真壁刀義とタイトルマッチで対戦。これに勝利を収め初防衛に成功。そしてこの結果により棚橋の同王座の通算防衛記録が21回を更新。橋本真也の同記録20回を越したことで最多通算防衛記録者となった。7月22日には田中将斗の挑戦を退けたのを皮切りに丸藤正道、鈴木みのる、高橋裕二郎と立て続けに防衛に成功する。棚橋弘至 フレッシュアイペディアより)

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