
五百峠から見た棚田
かつてのルートは郷谷往来(郡道小松新丸線)と呼ばれ、現在の尾小屋町から、尾小屋鉱山資料館に併設されたポッポ汽車展示館付近に位置する白山市阿手町(旧石川郡鳥越村阿手)に至るルートとの交差点を南に分岐し、丸山道と呼ばれた集落跡や現在の大倉岳高原スキー場付近にあった500枚の小さな棚田を経て、更に20以上の九十九折りの急坂を行くものであったが、1919年(大正8年)以降10年に渡り、五百峠トンネルの開鑿などといった大工事を行い、自動車が通行できる現在のルートとなった。(五百峠 フレッシュアイペディアより)