-
佐野研二郎から見た森喜朗
佐野は、ベルギーの劇場ロゴは全く知らないもので制作時に参考にした事実はないと反論した。8月1日、東京都知事の舛添要一は「100パーセント問題ないとは言い切れない状況だ」と事態を注視する姿勢を示した。国際オリンピック委員会副会長のジョン・コーツは、ベルギーの劇場のロゴは保護対象にはなっていないとの見解を示した。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗も、「半年もかけて国際社会に照会している。その間、異論は出ていない。全く心配していない」と語った。佐野は8月5日に会見を行い、「(ベルギーのものとは)デザインに対する考え方が全く違うので全く似ていないと思いました」と語り、疑惑を否定した。根拠としては、デザインを9つのグリッドに区切り、区切った部分がパーツとして分解できるようにして動画やデジタルメディアへの展開力や拡張性を満たすデザインにしていることを挙げた。オリンピックのエンブレムは「T」と円を組み合わせたデザインで、1964年のデザインのDNAを引き継ぎ、赤い丸を心臓の位置に置いて鼓動をイメージしたと説明する一方で、ドビ作品は「T」と「L」の組み合わせなので考え方が異なり、全く似ていないと説明した。しかしこの説明は後に佐野の原案が発表されたときに逆に矛盾を指摘されることとなる(後述)。8月10日、組織委員会会長の森はエンブレムについて「自信を持ってこれからも使っていく」と明言した。(佐野研二郎 フレッシュアイペディアより)
-
松永光から見た森喜朗
長崎県南高来郡南串山村(現雲仙市)生まれ。1947年に東京都立九段中学校を卒業し、中央大学法学部法律学科に進学。その後、早稲田大学第二法学部法律学科に編入し、1951年に卒業した。同年、司法試験に合格し、1954年に福岡地方検察庁検事に任官。しかし翌1955年に退官し、弁護士開業。そのかたわら養父・松永東の秘書を務め、東の死後、1969年の第32回衆議院議員総選挙に旧埼玉1区から自由民主党公認で出馬し、初当選した(当選同期に森喜朗・小沢一郎・羽田孜・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・村田敬次郎・江藤隆美・浜田幸一らがいる)。以後、10期連続当選。当選後は中曽根派に所属し、渡辺美智雄が継承した後も渡辺派に所属。引退するまで、中曽根派・渡辺派の系譜である志帥会に所属していた。(松永光 フレッシュアイペディアより)
注目ワード
キーワード一覧