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日高亮から見た森野将彦
2年目も一軍登板がないまま終わった。開幕から二軍公式戦に出場していたが、5月9日を最後に長期欠場。左肘の骨髄浮腫に悩まされた。8月4日のイースタン・リーグ対埼玉西武ライオンズ戦に2番手で登板して実戦復帰を果たした。この年の二軍戦は全てリリーフの登板で故障前の成績は10試合で防御率4.40、WHIP1.47、故障明けの11試合は防御率11.12、WHIP1.85だった。10月12日のみやざきフェニックスリーグ対中日ドラゴンズ戦で2番手で7回2点リードから登板し、CSの調整で出場した和田一浩、森野将彦ら主力相手に3回1失点と好投し注目された。(日高亮 フレッシュアイペディアより)
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渡邉博幸から見た森野将彦
山田久志が監督に就任したからは更に出場機会を増やすと、シーズンには「守りの野球」を標榜する落合博満新監督がその守備力を高く評価して、積極的に一塁手として起用。シーズン序盤は打撃不振に陥り、8番などの下位打線に回ったものの、中盤から打撃が向上していった。森野将彦やオマール・リナレスと定位置を争う形になったが、安定した守備でこれに応え、自身初のタイトルとなるゴールデングラブ賞を受賞する活躍をみせるなど、チームの優勝に貢献した。一塁手部門で規定打席に到達していない選手が受賞した初の例となった。また、シーズン終盤は打撃好調のリナレスを一塁で起用し、渡邉をレフトで起用するパターンも増え、同年の日本シリーズにもレフトでスタメン出場している。(渡邉博幸 フレッシュアイペディアより)
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ジョシュ・ホワイトセルから見た森野将彦
6月26日に一軍登録されると、同日の対阪神戦で5番・左翼手で即スタメン出場し、日本での初本塁打を放った。6月29日の対横浜戦では、初めてプロ野球公式戦が行われたセルラースタジアム那覇でプロ公式戦第1号本塁打を放った。同年はシーズンの半分以下である68試合の出場だったものの、打率.309、15本塁打53打点と結果を残した。特に、勝負を決める場面での活躍が多く、勝利打点15は同年全試合に出場した中日・森野将彦の最多勝利打点18にあと3に迫るハイペースだった。このように打撃面では長距離砲が不在だったヤクルトにとって大きな戦力となった一方、一塁守備では平凡なゴロを弾くなど凡プレーも目立った。(ジョシュ・ホワイトセル フレッシュアイペディアより)
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