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森野将彦から見た千葉ロッテマリーンズ
1000試合出場:2010年6月5日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、3番・三塁手で先発出場 ※史上436人目(森野将彦 フレッシュアイペディアより)
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森野将彦から見たオールスターゲーム (日本プロ野球)
は三塁手中村紀洋の加入に伴い、主に左翼手として出場。その後は荒木の戦線離脱もあり、前半戦は二塁手としても出場。オールスターゲームに初出場を果たし優秀選手賞に選ばれた。後半戦以降は福留孝介の離脱もあり、中堅手や右翼手としての出場も増え、打順は主に5番や3番を任された。この年バッテリー以外の全ポジションを経験。2年連続で規定打席に到達し、更に自己最高の打率.294、18本塁打を記録。本塁打と打点は前年よりほぼ倍増し、打線の中軸としての役割に応えた。日本シリーズでも4打点を挙げて優秀選手賞に選ばれた。(森野将彦 フレッシュアイペディアより)
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森野将彦から見たベストナイン (日本プロ野球)
は選手会長に就任。前年同様に開幕から3番に座り、春先は4割近い打率を残す絶好調ぶりを見せ、夏場のブランコの不振時には4番を任される試合もあった。一時調子を落とすことはあったもののシーズンを通して大きな好不調の波はなく、前年に次いでの全試合出場を達成。本塁打・打点は前年に及ばなかったものの、打率は自己最高の.327、チームリーダーとして和田一浩と共に4年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。自身初となるベストナイン(三塁手部門)に選出された。この年から守備固めで一塁手として起用される事が多くなった。(森野将彦 フレッシュアイペディアより)
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森野将彦から見た横浜DeNAベイスターズ
小学校時代は川島イーグルスに所属、また横浜大洋ホエールズ友の会にも加入していた。西谷中学校時代は神奈川で1番の名門、中本牧リトルシニアに所属。2級下には小池正晃が在籍していた。東海大相模高校では1年生時よりレギュラーとして活躍し、1995年の春の選抜大会に出場。3年生時には主砲として、全国高等学校野球選手権神奈川大会準々決勝で横浜高校と対戦したが、松井光介に3四球の敬遠と勝負を避けられ、唯一相手が勝負にきた打席では本塁打を打ったもののチームは惜敗した。高校通算38本塁打。1996年のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け入団。(森野将彦 フレッシュアイペディアより)