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波 (雑誌)から見た櫻井よしこ
1967年(昭和42年)1月、全24ページ、定価10円の季刊誌として創刊された。1969年に隔月刊となり、1972年3月号より月刊誌となる。「表紙の筆蹟」は、第5号に当たる1968年春季号の川端康成の書「風雨」からスタートする。創刊号の執筆陣は、福田恆存、小林秀雄、福原麟太郎、円地文子、野間宏、中島河太郎、吉田秀和、原卓也、大江健三郎など。井上ひさし『私家版 日本語文法』、山口瞳『居酒屋兆治』、櫻井よしこ『何があっても大丈夫』など、『波』に連載された作品でベストセラーとなったものは多い。2007年1月号より、レイアウトがリニューアルされ、全128ページとなる。2011年8月号で通巻500号を達成している。(波 (雑誌) フレッシュアイペディアより)
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乙骨正生から見た櫻井よし子
政治的位置を問わず、きわめて多岐にわたる人脈を持つ。乙骨と同様に創価学会を脱会した元創価学会教学部長の原島嵩や元創価学会顧問弁護士の山崎正友、元公明党代議士の大橋敏雄、元公明党都議会公明党幹事長の龍年光、元公明党都議会公明党幹事長の藤原行正らとの連携・協力に加え、著作の多くは共産党系の出版社から出ている(参照)一方、櫻井よし子・平沼赳夫・水島総などの保守系人脈と共著がある(参照)。朝木明代市議転落死事件(東村山市)では、事件の翌日から東村山市議会議員矢野穂積と連携して他殺説の広報を行い、『文藝春秋』に執筆した記事は自民党議員の国会質問の根拠となった。2008年には矢野に協力する瀬戸弘幸・西村修平ら右翼活動家の集会に参加している。また、石井一・前田雄吉ら小沢一郎系の民主党国会議員らによる流通ビジネス議員連盟による番組「ネットワーク・プラザ」が乙骨が法人理事をつとめる多摩レイクサイドFMで放送され、乙骨は番組制作費として同連盟から数十万を受領し、番組の著作権は同連盟に譲渡されて、番組収録CDの販売代金は同連盟の収益となっている。石井・前田らはFORUM21にも数度寄稿している。(乙骨正生 フレッシュアイペディアより)
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眞相はかうだから見た櫻井よしこ
『眞相はかうだ』は『太平洋戰爭史』を劇化したもので、これらGHQによるプロパガンダは「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に対する罪、現在及び将来の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」を眼目として開始され、「大東亜戦争」という言葉の抹殺、及びそれに代る「太平洋戦争」という言葉の導入によってそれが持つ意味、価値観が入れ替えられることとなった。櫻井よしこや保阪正康ら、一部の保守系評論家はこれら一連のGHQによる歴史観は現在主流の根底を占めることになっているとの見解を示している。(眞相はかうだ フレッシュアイペディアより)
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ニュースキャスターから見た櫻井よしこ
それまで男性のキャスターがニュース番組の進行を務めることが多かったが、1980年代に各局が女性キャスターを起用し始める。その先駆けとなったのが、『きょうの出来事』(日本テレビ)を担当した櫻井よしこである。だが実際は、1978年に田丸美寿々が『FNNニュースレポート6:30』を担当し、既にキャスターの位置付けをとっており、田丸を日本初の女性キャスターだとする意見もある。様々意見は分かれるが、テレビ証券は「田丸さんは、日本でいうキャスターの先駆けで、ジャーナリストからアンカーを務める米国流で言えば、櫻井さんが日本初のアンカーパーソン」と、両者ともにキャスターの先駆けであることに違いはない、と述べている。(ニュースキャスター フレッシュアイペディアより)