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ロサンゼルスの交通機関から見たライトレール
しかしその一方で、ロサンゼルス大都市圏内における鉄道による交通網はパシフィック電鉄などを1960年ごろまでに全廃してしまったため、1980年代までほとんど未発達で、アメリカ合衆国内の他の主要都市に後れを取り、路面電車やトロリーバスが市内交通の中心である同じ州内のサンフランシスコとは対照的であった。しかし、1990年代からライトレール・地下鉄や近郊列車の整備が進められている。(ロサンゼルスの交通機関 フレッシュアイペディアより)
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パシフィック電鉄から見たライトレール
阪急電鉄、東京急行電鉄等は、鉄道延伸と宅地開発を並行して行うPE・ハンティントンの手法を創業期から積極的に取り入れ、成功した事例といえる。しかし、本家であるところのPEの沿線開発によるベッドタウンは、当初の中産階級住民がフリーウェイ網の拡大と共に、郊外のより広大な住宅に移り、代わって沿線は有色人種を中心とした“クルマも持てない”所得の低い住民の住む街となっていった。さらに、PE(最終期にはLAMTAロサンゼルス市交通営団に買収)路線廃止数年後かつてのロングビーチ線沿線でワッツ暴動が発生。この背景には、鉄道廃止により整備された公共交通を欠いた地域となったことへの市民の不満も一因であるとされる。この暴動と前後し、沿線のうちサンフェルナンド渓谷、サウス・セントラル周辺は全米有数の凶悪犯罪が多発するスラム化した地域となっていった(なお、ハリウッドやサンマリノといった全米有数の高級住宅地もPE沿線で、PEの建設に伴って開発された住宅地であり、沿線がすべてスラム化したというわけではない)。現在旧PE路線網をなぞるように整備が進むLAMTAのライトレール路線網は、公共交通整備によるスラムクリアランスの意味合いが強いといわれ、実際自家用車を保有する層がこうした公共交通へと転移することは殆ど無い。このことを考えると、デベロッパーとしてのPEの手法は、本家たるロサンゼルスでは定着することなく終わり、むしろその密集度から移動手段を完全に自家用車に依存することが不可能な、日本の首都圏や京阪神地域等で定着を見たといえなくもない。(パシフィック電鉄 フレッシュアイペディアより)