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上方舞から見た歌舞伎
上方舞(かみがたまい)とは、江戸時代中期(1800年頃)から末期にかけて上方で発生した日本舞踊の一種。着流しに、屏風を立てた座敷で舞う素踊りを基本とする。源流となった御殿舞と、能を基本にした静的な舞に、人形浄瑠璃や歌舞伎の要素を加味しており、しっとりとした内面的な舞い方をする。歌舞伎舞踊より抽象的で単純化された動きである。本来、舞台より座敷で舞われることが多いとされていたので座敷舞と呼ばれたり、伴奏に地唄が用いられることから、地唄舞とも呼ばれる。また上方舞のうち、京都で発展した井上流、篠塚流を京舞(きょうまい)と呼ぶ。毎年、11月に東京の国立劇場で行われる「京阪の座敷舞」は、東京で上方舞が観られる数少ない機会であり、最も大規模なものである。(上方舞 フレッシュアイペディアより)
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エルヴィン・フォン・ベルツから見た歌舞伎
長男・徳之助 (Erwin Toku, 1889-1945)、長女ウタ (1893-1896)。子供は4人とする説も。長男トクの前に夭逝した第一子、トクの遊び相手として養女ギンがいた(一家が渡独前に12歳で急死)。トク(国籍ドイツ)は、暁星学校在学中に11歳で両親とともに渡独し、建築を専攻。「徳」は中国語のドイツ(徳国)から。父親の遺した『ベルツ日記』をナチス時代に出版し、第3帝国ドイツでもっとも有名な日系ドイツ人となった。このときトクによって母親の出生や両親の出会いについてなどが『ベルツ日記』から削除されたという。母親の影響で幼いころ歌舞伎に親しみ、1938年にはベルリンで忠臣蔵の一部を舞台化した。1940年から日本で暮らし、東京で病没。(エルヴィン・フォン・ベルツ フレッシュアイペディアより)
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楢山節考 (1958年の映画)から見た歌舞伎
『楢山節考』(ならやまぶしこう)は、1958年(昭和33年)6月公開の日本映画。監督は木下惠介。松竹大船製作のカラー映画である。深沢七郎原作の同名小説の最初の映画化作品でもある。公開時の惹句は、「美しくもいたましい親と子の愛のきづな! 万人の心を洗う感動の涙!」である。オール・セットで撮影され、全編を通じて邦楽を流し幕あきに定式幕を使うなど歌舞伎の様式美的な雰囲気の演出となっている。(楢山節考 (1958年の映画) フレッシュアイペディアより)