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歌舞伎から見たダグラス・マッカーサー
終戦後、GHQは日本の民主化と軍国主義化の払拭との理由から「仇討ち物」や「身分社会を肯定する」の演目の上演を禁止した。しかし、マッカーサーの副官バワーズの進言で、古典的な演目の制限が解除され、昭和22年(1947年)11月、東京劇場で東西役者総出演による『仮名手本忠臣蔵』の通し興行が行われた。(歌舞伎 フレッシュアイペディアより)
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歌舞伎から見たNHK総合テレビジョン
1953年(昭和28年)2月1日、NHKテレビジョンの放送開始により日本のテレビ放送が開始された。同日同局が日本のテレビ史初の番組として放映したのが歌舞伎番組であった。(歌舞伎 フレッシュアイペディアより)
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歌舞伎から見た国立劇場
戦後の全盛期を迎えた1960年代 - 1970年代には次々と新しい動きが起こる。特に明治以降、軽視されがちだった歌舞伎本来の様式が重要だという認識が広がった。昭和40年(1965年)に芸能としての歌舞伎が重要無形文化財に指定され(保持者として伝統歌舞伎保存会の構成員を総合認定)、国立劇場が開場し、復活狂言の通し上演などの興行が成功する。国立劇場はさかんに高校生のための歌舞伎教室を開催して、数十年後の歌舞伎ファンの創出につとめた。その後大阪には映画館を改装した大阪松竹座、福岡には博多座が開場し歌舞伎の興行はさらに充実さを増す。さらに、三代目市川猿之助は復活狂言を精力的に上演し、その中では一時は蔑まれたケレンの要素が復活された。猿之助はさらに演劇形式としての歌舞伎を模索し、スーパー歌舞伎というより大胆な演出を強調した歌舞伎を創り出した。また2000年代では、十八代目中村勘三郎によるコクーン歌舞伎、平成中村座の公演、四代目坂田藤十郎などによる関西歌舞伎の復興などが目を引くようになった。また歌舞伎の演出にも蜷川幸雄や野田秀樹といった現代劇の演出家が迎えられるなど、新しいかたちの歌舞伎を模索する動きが盛んになっている現代の歌舞伎公演は、劇場設備などをとっても、江戸時代のそれと全く同じではない。その中で長い伝統を持つ歌舞伎の演劇様式を核に据えながら、現代的な演劇として上演していく試みが続いている。このような公演活動を通じて、歌舞伎は現代に生きる伝統芸能としての評価を得るに至っている。(歌舞伎 フレッシュアイペディアより)