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石橋省三から見た三重ノ海剛司
石橋は1999年大相撲秋場所千秋楽、幕内最高優勝力士の表彰式内で行われる恒例の「優勝力士インタビュー」を担当。その日優勝した横綱武蔵丸に対し、インタビューの最後に「武蔵丸関、これからは『君が代』を歌うようにお願いしたいですね」と求め、武蔵丸が「今一生懸命やっています」と答えるという一幕があった。会場からは拍手が起こり、インタビューは問題なく終了した。ちょうど同年8月に「国旗及び国歌に関する法律」が公布・施行され、「日の丸」・「君が代」をめぐる議論が続いていたという時期であったため、各メディアが石橋の発言を取り上げた。以前から武蔵丸は「難しい」ことを理由に「君が代」を斉唱しないことが多く、この年の5月の横綱昇進時に時津風理事長から注意を受けていた。石橋の発言もこれを受けてのものであったため、日本相撲協会は「国歌斉唱が求められて当然」として問題にしなかった。また石橋は取材を通じ、武蔵川親方や武蔵丸・武双山ら武蔵川部屋の力士衆と個人的に親しかったという事情もあった。NHKや石橋も「君が代」反対派などが要求した謝罪には応じなかった。(石橋省三 フレッシュアイペディアより)
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大相撲平成22年7月場所から見た三重ノ海剛司
先場所開催中に週刊誌で「大関・琴光喜が野球賭博に関与して恐喝されていた」と報道されたことに端を発し、琴光喜は解雇処分、当時の理事長・武蔵川親方(第57代横綱・三重ノ海)が謹慎処分を受ける事態に発展。幕内でも同様に野球賭博に関与したとして6名が謹慎休場処分となり、NHKによるテレビ及びラジオの大相撲中継が中止されるなど、異常な状態で場所を迎えた。(大相撲平成22年7月場所 フレッシュアイペディアより)
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優勝額から見た三重ノ海剛司
現在の両国国技館では優勝額は四方に8枚ずつ32枚掲額されている。(かつての蔵前国技館では36枚の掲額であった)東京場所ごとに2枚ずつ新たな優勝額が加えられ、古いものから外される。外された優勝額は優勝力士当人に贈られ、普通は稽古場に飾るなどするが、5回、10回と優勝を重ねた力士の場合、母校など優勝力士と縁のある施設や人物に寄贈される。国技館の最寄り駅となるJR両国駅の改札口には、関脇(のち横綱)三重ノ海五郎(昭和50年11月場所)、横綱2代若乃花幹士(昭和53年11月場所)、横綱武蔵丸光洋(平成14年5月場所)、横綱白鵬翔(平成19年11月場所)の優勝額が飾られている。また、昭和42年に横綱大鵬が25度目の優勝を果たしたときの優勝額が日光市在住の当時の後援会副会長に寄贈され、同市が譲り受け体育施設で管理していたが、その体育施設の解体が決まり、官公庁オークションにかけられるも取引が成立せず、大鵬の遺族に返還された後江東区に寄贈された、という事例もある。(優勝額 フレッシュアイペディアより)