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朝潮太郎 (4代)から見た三重ノ海剛司
その後、徐々に幕内上位に返り咲き、1980年(昭和55年)3月場所11日目、横綱北の湖との2度目の対戦で、朝汐は北の湖が出たところを豪快な引き落としで破り初金星を挙げ、この場所は10勝5敗で殊勲賞を獲得。これを皮切りに朝汐は上位陣から恐れられることになる。以後朝汐は輪島、三重ノ海、若乃花、千代の富士といった横綱陣との対戦では度々土をつけ、特に当時の実力第一人者である北の湖との対戦では、仕切りから横綱の計算を狂わせ、ファンはおろか当の上位力士でさえも驚くばかりの強さを発揮し、当時の幕内力士では唯一北の湖に通算13勝7敗(不戦勝1含む)と歴然とした差で勝ち越したことで話題を呼んだ。1981年5月場所8日目の北の湖戦でも全勝の北の湖に土をつける活躍を見せ、この時のNHK大相撲中継の視聴率は夏場所のものとしては2017年3月場所終了時点で最高となる38.2%であった(ビデオリサーチ調べ)。同年11月場所は12勝3敗の好成績で千代の富士貢と優勝決定戦に出場し、敗れて惜しくも初優勝を逃した。翌1982年1月場所は大関挑戦の場所であったが、6勝9敗と負け越し、失敗に終わった。1982年5月場所は13勝2敗の好成績で再び千代の富士貢と優勝決定戦に出場し、敗れてまたしても優勝を逃した。翌1982年7月場所は再度大関挑戦の場所であったが、8勝7敗に終わり、またしても失敗に終わった。このように素晴らしい成績を挙げながらも優勝・大関には手が届かず、3度あった優勝決定戦ではあと一歩のところで及ばず、勝敗の差が激しく連勝か連敗が目立ついわゆる「連(ツラ)相撲」も特徴であった。この頃は大関挑戦の場所を迎えては負け越し(あるいは最小の勝ち越し)て失敗、数場所後に大勝ちして再(々)度大関挑戦の繰り返しであった。(朝潮太郎 (4代) フレッシュアイペディアより)
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2010年のスポーツから見た武蔵川晃偉
【相撲】日本相撲協会は臨時理事会を開催し、一連の野球賭博問題で年寄大嶽(元関脇:貴闘力忠茂)及び現役大関琴光喜啓司を解雇とするなど、賭博に関与した協会構成員に対する処分を決定した。元大嶽には退職金不支給、元琴光喜には退職金は支払うものの功労金は0査定とした。また、今回の処分で謹慎となった理事長武蔵川晃偉の代行として、外部理事の村山弘義(元東京高等検察庁検事長)が名古屋場所終了後まで務めることも併せて決議した。(2010年のスポーツ フレッシュアイペディアより)
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水戸豊幸樹から見た三重ノ海剛司
小学生時代から相撲を始めており2005年には6年生部門でわんぱく横綱に輝いた経験もある。中学卒業前に兄の鶴乃湖(最高位は幕下)を追って高田川部屋への入門を志して訪問の連絡を入れるも「弟が入ってくると馴れ合いになる。相撲に集中したいなら別のところへ行きなさい」と断られる。そこで、憧れの力士である出島の所属する武蔵川部屋(現在の藤島部屋)へ連絡を入れたが先代武蔵川に「もう新弟子決まっちゃったから」とここでも断られる。そんな中であちこちの部屋に入門を志願していた本多の噂を聞いた錦戸が勧誘したことで中学卒業直前の2009年3月場所に錦戸部屋所属力士として初土俵を踏んだ。(水戸豊幸樹 フレッシュアイペディアより)