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氷室京介から見たさいたまスーパーアリーナ
ソロ15周年に当たるこの年、ベスト・アルバム『Case of HIMURO』が3月19日にリリースされた。その後の2003年7月20日、さいたまスーパーアリーナで「15th Anniversary Special LIVE "Case of HIMURO"」と称したライブを行った。そのライヴの模様は、2003年11月25日にDVD『Case of HIMURO 15th Anniversary Special LIVE』としてリリース。(氷室京介 フレッシュアイペディアより)
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氷室京介から見た国立代々木競技場第一体育館
1月11日、横浜アリーナで「TOUR 1993 "L'EGOISTE"」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1993年5月12日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演の模様は、2009年2月25日にDVD『L'EGOISTE』としてリリース。(氷室京介 フレッシュアイペディアより)
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氷室京介から見たKING OF ROCK SHOW of 88'S-89'S TURNING PROCESS
10月1日、高松市総合体育館で「KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"」ツアーを開始。後に、このライヴ・ツアーの1989年1月3〜4日、東京ドーム公演と「KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"」ツアー公演の模様は1989年6月28日にビデオ『KING OF ROCK SHOW of 88'S-89'S TURNING PROCESS』としてリリース。(氷室京介 フレッシュアイペディアより)
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氷室京介から見た日比谷野外音楽堂
デビューしたものの思い通りにならないことが多く、群馬へ帰る決意もした頃、当時の彼女から貰ったチケットで、思い出のつもりで7月5日日比谷野外音楽堂でのRCサクセションのライブを観る。それが新たなモチベーションを与えたと言われている。当時18歳の布袋寅泰を電話で六本木の「アマンド」に呼び出し、バンド結成の話を持ちかけた。そして、彼の協力のもと曲を作り、新たなバンド作りに取り掛かる。2人が再会した際に、布袋は、「群馬時代は硬派な印象だった氷室の風貌がニューウェーブ風になっていることに驚いた」というエピソードを残している。9月、松井恒松が加入。その後、深沢和明、諸星アツシが加入。(氷室京介 フレッシュアイペディアより)
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氷室京介から見た仙台サンプラザホール
KYOSUKE HIIMURO Charity Live in SENDAI"We Are Down But Never Give Up!!"(3月11日、仙台サンプラザホール)(氷室京介 フレッシュアイペディアより)
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氷室京介から見たNEO FASCIO TURNING POINT
NEO FASCIO TURNING POINT(1990年・VHS、再発:2009年・DVD)(氷室京介 フレッシュアイペディアより)
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