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江尻良文から見た江川卓 (野球)
清武球団代表の造反においては、告発内容である「岡崎郁ヘッドコーチを解任し、後任を江川卓をとするよう渡邉が指示した」ということに関しては「ファンにも受け入れられるだけのインパクトがあったのに、暴露されて白紙に」と書き渡邉を評価している。それに対して清武を「補強に失敗した責任はフロントにある」という渡邉の方針を引用し、高橋信二、大村三郎の補強を「ピンボケ」、橋上秀樹、秦真司のコーチ就任を「首をかしげるしかない人事」と評し、「渡辺会長の威光を借りて、これまで好き勝手をやっていた清武GM」、「2年連続V逸の元凶だったフロントを束ねる清武氏」として批判。「清武が退任すれば巨人再生の道が開ける」としている。(江尻良文 フレッシュアイペディアより)
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佃正樹から見た江川卓 (野球)
1973年、迫田穆成監督率いる広島県立広島商業高等学校のエースとして達川光男・金光興二らとセンバツに出場。落差のある縦カーブと抜群の制球力で準々決勝までの3試合を完封。前年地区大会から公式戦139イニング連続無失点を続けていた怪物・江川卓の作新学院高校と準決勝で激突した。五回裏二死二塁から佃が江川の外角高めの速球を振りぬき、ライト前にチーム初安打となるポテンヒットを放ち、二塁ランナー達川が生還、江川の連続無失点記録を止めた。八回裏には金光らがダブルスチールを敢行し、慌てた捕手の三塁悪送球で決勝点を奪い江川を倒した。広島商業がこの試合で江川から放ったヒットは、この回の内野安打と先の佃のポテンヒットの計2本だった。非常にプライドが高く、ゲームセットでチームメイトが歓喜を爆発させる中、『おれは名門・広島商業の背番号1。勝って当然』と一人悠然としていたという。しかし決勝では渡辺元(渡辺元智)監督率いるセンバツ初出場の横浜高校の長打攻勢に敗れ準優勝に終わった。同年夏の甲子園は、佃自身の出来は今一つだったが、粘り強いピッチングで広島商業の5度目の全国制覇をもたらした。静岡高校を九回裏一死満塁から、サヨナラスリーバントスクイズで降した決勝戦は名勝負として有名。また細身で美少年だった佃は、宿舎に女性ファンが雪崩れ込む程のアイドル的人気を得た。(佃正樹 フレッシュアイペディアより)