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  • 江川卓 (野球)

    江川卓 (野球)から見た佃正樹

    4月5日の準決勝は広島県代表の広島商(後年広島に入団する達川光男が在籍)と対決。広島商・迫田監督は、試合前、「他のチームのことは一切考えなかった。江川をいかに崩すか。それだけを頭に描いて選手を鍛えてきた」と語っている。試合では、広島商の全選手が高めの球には一切手を出さず、バッターボックスのホームベース寄りに立って内角の球を投げ難くさせるとともに、徹底してバットを短く持ち、外角低めの球に的を絞ってファウルを打つことにより、投球数を増やして江川の精神面を崩す作戦に出た。江川は8回を投げて(完投)、被安打2(ポテンヒットと内野安打)、毎回の11奪三振と、ほぼ完璧な投球だったが、5回までに104球を投げさせられている。広島商は5回裏2死後、四球で出塁の達川を2塁に置いて、エース・佃正樹(のち法大→三菱重工広島)が詰まりながらもチーム初安打となるライト前のポテンヒットを放ち、達川が生還、江川に140イニングぶりの失点を与えた。さらに、広島商は8回裏2死1・2塁からダブルスチールを敢行、これが小倉捕手の3塁悪送球を誘い、2塁走者の金光興二(のち法大→三菱重工広島→広島商監督→法大監督)がホームを踏んで2点目を奪った。この得点が決勝点となって、作新学院は1対2で敗れ、ベスト4で姿を消した。江川はこの大会で通算60奪三振を記録。1930年(昭和5年)選抜優勝の第一神港商・岸本正治の作った54奪三振の従来記録を43年ぶりに塗り替えた。60奪三振は現在でも選抜大会記録である。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た加倉一馬

    開幕からの2か月間は一軍昇格を自粛する。デビュー戦となった6月2日の対阪神戦では、敵将のドン・ブレイザー監督に球種を見抜かれ、リロイ・スタントン、若菜嘉晴、マイク・ラインバックに本塁打を浴びて敗戦投手。また、同月17日のプロ初勝利となった対広島戦では、試合中に鼻血を出すというハプニングで8回途中降板したが、その後は活躍を見せた。しかし、ルーキーイヤーの成績は9勝10敗の負け越しで、一桁の勝ち星に終わったことなどが影響し、13勝を挙げた藤沢公也(中日)に新人王をさらわれた。なお、4月17日の後楽園球場でのイースタンリーグ・ロッテ戦では、二軍の試合としては異例ともいえる三万人以上の観客が江川目当てに集まり、江川は自身より2歳年上でプロ入り同期のルーキー・落合博満と対戦したが、初回に中堅越えの先制タイムリー二塁打、3回にも左前のタイムリーを打たれた。江川は7月21日に横浜スタジアムで開催されたジュニアオールスターゲームにもオールイースタンのメンバーとして出場、3イニングを無安打4奪三振という見事な投球を見せたが、このときは勝ち越し本塁打を放った加倉一馬(西武)がMVPに選ばれ、江川は最優秀投手賞だった。この年のオフに地獄の伊東キャンプに参加する。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た草柳大蔵

    作家の草柳大蔵は著書『きれいな敬語羞かしい敬語』で、きれいな言葉で解説するプロ野球解説者として、豊田泰光や落合博満と並んで江川を挙げている。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見たコージィ城倉

    漫画 『江川と西本』 (作:森高夕次、画:星野泰視)江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た星野泰視

    漫画 『江川と西本』 (作:森高夕次、画:星野泰視江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た慶元秀章

    3月27日、第1日目第1試合。初めて甲子園球場という全国区に登場した「怪物江川」に日本中の高校野球ファンが試合のテレビ放送に注目した。江川見たさと開幕直後の地元・北陽高戦とあって、甲子園球場は観衆5万8千人の超満員となった。満を持して登場した江川は1回から剛速球全開で、北陽の選手のバットにボールを一度も触れさせず三者連続三振。続く2回も先頭打者に1球もボールに触れさせず三振。強力打線の1番・冠野から2番・慶元(のちクラウン→西武→近鉄)、3番・広瀬、4番・藤田と続く北陽が誇る上位打線が1人もバットにボールをかすらせることすらできず、高校生の中に1人だけプロ野球選手が混じって試合が行われていると揶揄された。あまりの実力差を見せつけられ、甲子園球場は異様などよめきに包まれた。次の5番・有田(のち近鉄)がこの試合23球目に初めてバットにボールを当てると(一塁スタンドへのファウル)、有田に対して超満員の観客から大きな拍手が巻き起こっている(この拍手は江川を紹介するメディアで必ずといっていいほど取り上げられる逸話となっている)。初回先頭打者から4回2死までアウト11者連続奪三振、秋季大会で打率4割2分・3本塁打・21打点の成績を残した北陽一の強打者、4番・藤田からは4打席4奪三振(すべてスイングアウトでの三振)、最終イニングの9回も2番・慶元からの好打順に対して3者連続奪三振で締め、結局、この試合を4安打19奪三振で完封勝ちと、鮮烈な甲子園デビューを飾った。試合後のインタビューで北陽・高橋監督は、「生徒にはまっすぐを狙わせたが、スピードがありすぎてバットに当たろうともしなかった。途中から作戦を変えて、短打打法に切り替えたが、全くだめだった」と語っている。ちなみに、この北陽高はこの年の夏の甲子園にも出場し、ベスト8になっている。大会前から豪腕と騒がれたが、初めて全国に姿を現した「怪物」の実力に多くの高校野球ファンが驚嘆し、この試合を契機にこの大会は江川大フィーバーに包まれた。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た小川正太郎

    4月3日の準々決勝では、秋季愛媛県大会優勝、四国地区大会でも優勝し、春の選抜でも優勝候補の一角であった今治西(愛媛)と激突した。この今治西に対して、速球、変化球ともに冴え、「怪物」ぶりを発揮した江川は7回2死まで1人のランナーも許さず14奪三振。完全試合の期待もあったが、その直後に中前打された。しかし、気持ちを切らさず8回・9回も6アウトを6者連続奪三振で締め、結局、8者連続を含む毎回の20奪三振で1安打完封と完璧に抑えた。この試合での8者連続奪三振は、1926年(大正15年)夏に和歌山中学・小川正太郎が達成した夏の大会記録(当時)に並ぶもので、春の大会としては史上最多記録。試合後のインタビューで今治西・矢野監督は、「選手にバットを短く持って当てていくように指示したが、どうしても打てなかった。もう一度対戦しても打てませんね。選手には内緒ですが、完全試合にならなくてホッとしましたよ」と語っている。ちなみに、この今治西はこの年の夏の甲子園にも出場し、ベスト4になっている。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見たジョージ・ブコビッチ

    プロ野球人生最後の登板となった因縁の西武との1987年度日本シリーズにおいては、第3戦に先発投手として登板。好投を見せるも打線がそれに応えることができず、石毛宏典とジョージ・ブコビッチにソロ本塁打を打たれ、8回2失点(9回は水野雄仁が登板)で敗戦(最終スコアは1対2)。チーム自体も相手の組織力と隙のない野球の前に完敗を喫し(最終成績は2勝4敗)、最後の花道を飾ることはできなかった。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た迫田穆成

    4月5日の準決勝は広島県代表の広島商(後年広島に入団する達川光男が在籍)と対決。広島商・迫田監督は、試合前、「他のチームのことは一切考えなかった。江川をいかに崩すか。それだけを頭に描いて選手を鍛えてきた」と語っている。試合では、広島商の全選手が高めの球には一切手を出さず、バッターボックスのホームベース寄りに立って内角の球を投げ難くさせるとともに、徹底してバットを短く持ち、外角低めの球に的を絞ってファウルを打つことにより、投球数を増やして江川の精神面を崩す作戦に出た。江川は8回を投げて(完投)、被安打2(ポテンヒットと内野安打)、毎回の11奪三振と、ほぼ完璧な投球だったが、5回までに104球を投げさせられている。広島商は5回裏2死後、四球で出塁の達川を2塁に置いて、エース・佃正樹(のち法大→三菱重工広島)が詰まりながらもチーム初安打となるライト前のポテンヒットを放ち、達川が生還、江川に140イニングぶりの失点を与えた。さらに、広島商は8回裏2死1・2塁からダブルスチールを敢行、これが小倉捕手の3塁悪送球を誘い、2塁走者の金光興二(のち法大→三菱重工広島→広島商監督→法大監督)がホームを踏んで2点目を奪った。この得点が決勝点となって、作新学院は1対2で敗れ、ベスト4で姿を消した。江川はこの大会で通算60奪三振を記録。1930年(昭和5年)選抜優勝の第一神港商・岸本正治の作った54奪三振の従来記録を43年ぶりに塗り替えた。60奪三振は現在でも選抜大会記録である。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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    江川卓 (野球)から見た金子鋭

    1978年度ドラフト会議(11月22日開催)の2日前に急遽帰国した江川は、ドラフト会議前日の11月21日、(福岡野球から西武グループに譲渡されたライオンズの独占交渉権はドラフト会議前々日の11月20日をもって喪失したとの解釈で)巨人と電撃契約した(通称「空白の一日事件」)。セントラル・リーグ事務局は即時にこの契約を無効として江川の選手登録を却下したが、それに抗議した巨人は翌日のドラフト会議をボイコットした。当のドラフト会議では、巨人の抜け駆け契約に抗議する意味で南海、近鉄、ロッテ、阪神の4球団が江川を1位指名し、抽選の結果、阪神が江川との交渉権を獲得した。巨人は「全12球団が出席していないドラフト会議は無効である」と主張して、江川に対する阪神の交渉権を認めなかった。この問題はこじれにこじれたが、最終的に金子鋭コミッショナーの「強い要望」により、1月31日、江川は交渉権を持つ阪神と契約を結び、一旦阪神に入団した上で、同日中に小林繁を相手とする交換トレードによって巨人に移籍することになった。この一件により、江川に対する世間の風当たりは強くなり、一気に悪役に仕立て上げられる。マスコミは大挙して江川を批判すると同時に、小林を悲劇のヒーローとして報道した。この経緯から、「エガワる」(周囲をかえりみず強引に自分の意見を押し通すこと)という造語が流行語にまでなった。また、1960年代に子供が好きだった物を並べた「巨人・大鵬・卵焼き」をもじって、嫌いな物として「江川・ピーマン・北の湖」という呼び方が揶揄的になされた。江川卓 (野球) フレッシュアイペディアより)

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